2020年は堂林翔太“覚醒”のシーズンになったと言っても過言ではない。開幕序盤から安打を量産し、8年ぶりに規定打席に到達するなど、最後までレギュラーとして活躍。期待されながらも結果を残すことができなかった男が、プロ11年目で見事な復活劇を見せつけた。

 11年目の覚醒を見せファンを魅了した、堂林翔太のこれまでの軌跡を、当時の本人の言葉とともに辿る。今回はブレイクを果たしたプロ3年目、2012年に焦点を当てて振り返っていく。

2012年、プロ3年目で一軍デビューを果たした堂林翔太選手。この年、チーム唯一の全試合出場を果たし大きな成長を遂げた。

◆プロ3年目でつかんだ開幕スタメン『7番サード・堂林』

 2012年3月30日、プロ野球開幕戦。独特の緊張感が球場を包み込む中、前年まで一軍未出場の若武者・堂林翔太が「7番・サード」で、開幕戦のスターティングメンバーに名を連ねた。

「(スタメンで)自分の名前が呼ばれたときは『よっしゃー』と思いました。最初はプレッシャーもありましたが、そう感じると逆に自分のプレーができないので恐れずに思い切ってやろうと思いました。(一軍でのプレーが)初めてってことは周りの人も知っていることですからね」

 一軍デビュー戦であり、愛知県出身の堂林にとって、この日の中日戦は地元凱旋試合。背番号13は、二軍で培ってきた経験を、一軍の大舞台で発揮するため、堂々とプレーした。

 

 プロ初打席は捕邪飛、第2打席はサードゴロに終わるも、8回に迎えた第3打席でプロ初安打が生まれた。中日先発の吉見一起の内角に入ってくる難しいシュートを、「得意技です」とうまく腕を畳んでレフト線へ弾き返し二塁打。デビュー戦で見事に結果を残した。

 3年目にして巡ってきたチャンスをものにした堂林は、その後、スタメン定着すると、4月24日の阪神戦(甲子園)でプロ初本塁打。昨年二軍でわずか1本だったホームランは、7月下旬には早くも二桁に到達した。また、7月のオールスターにはカープの野手では史上最年少の20歳で初出場。コンスタントに安打を重ね、リーグ打率で上位に名を連ねるなど、昨季まで二軍暮らしが続いていたその名は、一気に全国の野球ファンに知れ渡った。

「二軍とはプレッシャーが全く違いますし、その中でやれていることが大きいですね。『二軍でいくら練習しても、一軍に試合に出ている選手には敵わない』と言われたことがあるのですが、今はその意味がすごく分かります。二軍で得られないものを一軍の試合で得られていると思いますし、成長の幅も大きいと思っています」