◆日本人投手が5年半、継承

 5シーズンで4人続いた外国人勢の流れを断ち切り、日本人選手として7年ぶりに『42』を着けたのが、『19』から変更となった長谷川昌幸。1995年にドラフト1位指名を受け入団し、2001年には9勝をマーク。2002年もチームトップの13勝を挙げるなど、黒田博樹に次ぐ存在として一気に頭角を表したが、以降は故障などで不調に陥った。

 先発だけではなく時には中継ぎへの配置転換も行われ、2005年からは背番号を『42』に変更。なかなか首脳陣の期待に応える投球ができず、2010年のシーズン途中に喜田剛と共に迎祐一郎との2対1の交換トレードでオリックスに移籍した。ちなみに7月に入団して『42』を引き継いだチュークは、その年限りで退団している。

 ここまで“短命外国人”のオンパレードだった『42』だが、2011年のバリントンの登場から情勢が変わる。2002年、MLBのドラフトでピッツバーグ・パイレーツから1巡目指名(全体1位)を受けた逸材・バリントンは、2011年にカープに入団すると、いきなり球団史上初の開幕4連勝を達成。1年目からチームトップの13勝、防御率2.42に好成績を残してみせた。

 2012年は好投のわりに勝ち星が伸びなかったが、2013年は前田健太に代わり初の開幕投手も務める。9月には球団歴代外国人投手の通算勝利数(ネイサン・ミンチーの29勝)を更新した。その後は2014年限りで自由契約となり、2015年はオリックスのユニホームを着用した。