◆カープ野球=機動力野球

 古葉野球の申し子として1970年代後半から活躍した髙橋さんですが、当時スイッチヒッターに挑戦し始めた私にとって、まさに良きお手本。あの人の背中を追っかけていたような印象でした。髙橋さんが左打席に立ったときは極端なダウンスイングをしており、さすがにそこまで真似をしようとは思いませんでしたが、足を生かした打撃という点では大いに参考にしました。

 古葉監督が展開されていたカープ野球とは、“機動力野球”です。私が当時スタメンとして試合に出るとしたら、そのほとんどが2番打者としてでした。普通2番と言えば、細かな制約がある難しい打順と言われていますが、当時古葉監督から細かな指示を出されたことはなかったように記憶しています。ただ、古葉監督自身がとにかく人の一挙手一投足を見ている方で、周囲の選手も含めて『球から目を離すな』ということを言われていました。

 当時のカープはまさに投手王国。1点をもぎ取り、追加点を2、3点取れれば優位に立てていたので、とにかく1回でも多く中軸がチャンスで打席に立てるよう腐心していました。具体的に言えば、髙橋さんが盗塁するまで2ストライクまで待つなど、自己犠牲の気持ちを持つようになりました。

 ある意味自分のプレースタイルを確立させたシーズンだったと思います。とにかく“1番・髙橋慶彦”を生かすことが、チームの勝利に直結することだと思い、自分はどうしたら良いのかということを考えていました。

 このシーズンは春先に首位にたつと、そこから首位の座を譲ることなく優勝まで駆け抜けていきました。球団史上初の連覇を達成したシーズンでしたし、チームとして充実期を迎えていた時期だったと思います。投手陣は先発ローテーションがしっかりと固まり、打線は上位打線から中軸まで役割分担が明確でした。

 年齢のバランスを考えても、私や髙橋さんなどの若手がいきいきとプレーすることができたのは、山本浩二さんや衣笠祥雄さんなどの主力打者たちが安定感のある成績を残されていたからに他なりません。