1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手がカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再掲載する。

 球団史上初の200勝投手に輝いた北別府学氏。『精密機械』と呼ばれた抜群のコントロールで積み上げた白星は、生涯通算213勝。沢村賞にも2度輝いた、まさにカープ黄金期のエースだ。いまなおカープファンに愛される名投手が、大記録達成の瞬間を語ったインタビューをお届けする。(全8回/第5回)

2012年には野球殿堂入りを果たした北別府学氏

◆「何としても、このシーズン中に達成しなければならない」

 200勝まであと21勝という所まで来ながら、初めて右腕を痛めた。そこで私はシーズンが終了すると間もなく、初めてウエイトトレーニングに取り組んだ。その成果もあって、翌1991年は11勝をマークして佐々岡真司・川口和久との先発陣で5年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズでは雪辱を晴らすべく西武と対戦し、私は1勝1敗で迎えた広島市民球場での第3戦に先発した。

 私は西武打線を7回まで無得点に抑えていたが、8回表に先頭打者の秋山幸二にスライダーをバックスクリーン左へ運ばれた。結局この1点が決勝点となって、カープは0-1で敗れた。シリーズは3勝4敗で5年前の雪辱は成らず、私としても日本シリーズでの勝ち星は最後までマークできなかったが、この試合で確かに「内角攻め」という復活のきっかけをつかむ事ができた。

 いよいよ念願の200勝まであと10勝に迫った、プロ入り17年目の1992年。

 初登板となった4月8日の大洋(現横浜)戦に9-5で勝つと、5月13日の大洋戦まで無傷の6連勝を果たして、まさに自分が理想としていた以上の最高のスタートが切れた。前半戦での達成も見えてきたが、私は決して安心してはいなかった。「何としてもこのシーズン中には達成しなければいけない。今年が最後のチャンスだ」と強く思ってシーズンに臨んでいたのである。

 200勝に王手をかけて臨んだのが、7月14日からのナゴヤでの中日3連戦だった。週末にはオールスターを控えた、前半戦最後のカードである。

 その初戦、14日に私は先発する予定だったが、プレイボール直前になって突然の雷雨となり、試合はそのまま中止となってしまった。翌日は予定通り佐々岡が先発し、私は2日後の16日、第3戦に先発する事になった。