◆「社会人野球のレベルには、到底ついていけない」
秋の県大会は初戦で敗れ、最後の夏も練習試合で実力が拮抗していた安来高校に1回戦で2対3と破れた。あまりにも呆気ない終わり方に、「俺達は3年間何をやってきたのだろうか」という悔しさと「これで高校野球は終わったんだ」という寂しさで、チーム全員で涙を流したことを覚えている。
最後の夏の大会を終えてから、私は社会人野球の三菱重工三原硬式野球部の練習にテスト生として1週間ほど参加させてもらった。当時の野球部監督に勧められ、バッテリーを組んでいた2年生のキャッチャーと二人で参加したのだ。
しかしその時は肩の調子が悪くて投げられず、練習と言えばほとんど走ってばかりだった。練習量も自分の高校とは比べ物にならないくらいハードである。しかしさすがは社会人野球。宿舎はきれいで食事も食べ放題。私にとっては「贅沢だな、すごいな」と驚くばかりの1週間だった。
1週間の練習を終えると、私はチームからユニフォームやグローブ、スパイクなど野球用具一式を支給された。しかし私は社会人野球ではやっていく自信がなかったため、自分から入社を断った。自分には体力がなく、練習がハードでレベルも高い社会人野球には到底ついていけないと痛感したのだ。
さらに大きな理由として、母を残して遠くへ就職するという気持ちは、自分には最初からなかった。三菱三原の練習に参加したのも、入社テストというよりも社会人野球のレベルを自分の目と体で確かめたかったからだった。就職するなら堅実な職場で、実家から通えて、できれば野球ができる環境がある事が条件だった。
残念ながら島根県には公式の社会人チームはなかったが、軟式なら地元の出雲市信用組合が県内でも強豪だった。 硬式とか軟式とかそれほどこだわりがあったわけではないが、私としては自分で銀行員というタイプとは思っていなかったので、他の就職先も一応検討してはみた。しかし自分が考えた条件を最も満たしているのが、この出雲市信用組合であった。私は応募して無事採用通知をもらい、社会人としての人生をスタートした。
(第3回へ続く)
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