1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手がカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再掲載する。
高校卒業後、出雲市信用組合で軟式野球部に入部した大野豊氏は、仕事と野球の両立を楽しんでいた。そんな左腕の前に、突如拓けた『プロ入り』の道。カープのレジェンド誕生までの軌跡を振り返っていく。
(『広島アスリートマガジン』2004年12月号掲載記事を再編集)(全10回/第3回)
◆春のキャンプで臨時に入団テストを受け、ついにプロ入り
出雲市信用組合に就職した私は、研修を終えると本店営業部渉外課に配属された。毎月のノルマを達成するため担当区域を隈無く歩き、結果的には少額ずつで多くの顧客を獲得する方法でノルマはほとんど達成した。「やればできるんだ」という自信が身についた。
出雲市信用組合には軟式野球部があり、私はそこに所属した。それまでは硬式野球の経験しかなかったので、ボールの抵抗や重さが違う分、肩が軽くなり過ぎて痛めないように注意しながら軟式に慣れていった。入部から約2ヵ月経った6月頃、私も投手として投げるようになった。
練習は日常業務終了後で、個人の時間を使ってトレーニングもしっかりやった。背番号は『28』。後にカープで私の師匠となる江夏豊さんが、当時阪神で着けていた背番号である。
投手として憧れの存在は、やっぱり江夏さんだった。ストレート一本で向かっていく若い頃の江夏さんが、ほとんど真っ直ぐしか投げられない私には憧れの存在だった。
サラリーマン3年目の1976年秋、仕事をしながら軟式で野球を楽しんでいた私に、それまでは想像すらしなかったプロ野球への道が急激に開けてきた。

