1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手がカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再掲載する。

 1995年、川口和久氏はFA権を行使し、カープから巨人への移籍が決まった。移籍初年度、そして2年目は負けが先行する苦しい時期が続いたが、転機となったのは二軍投手コーチからのリリーフ転向の打診だった。

(『広島アスリートマガジン』2005年6月号掲載記事を再編集)(全8回/第7回)

1995年に巨人へFA移籍しや川口和久氏。その裏には、家族への思いがあった

◆ためらいもあった巨人への移籍。広島を離れ、家族とともに東京へ

 入団13年目のシーズンが終了した、1993年の暮れ。

 私達夫婦が東京にある妻の実家に帰った際に義父が突然倒れ、末期の膵臓ガンと診断された。1994年のシーズン終了後、妻は私に「東京で父の最期についてやりたい」と言った。しかし当時は子供もまだ小さく、妻だけを東京に帰す事も、私一人が広島に残るわけにもいかない。

 FA権を行使して在京球団に移籍して家族を取るか、妻や子供達と離れても広島に残るかで私は非常に悩んだ。

 そして夫として、父として家庭を守るために、私は締切の数分前にカープ球団へFA行使届の書類をファックスで送った。カープに極力迷惑にならないように、最初はリーグが違い球場も妻の実家から近い西武を第一候補とした。

 ところが交渉が始まった頃、巨人の長嶋茂雄監督から私に「ウチに来て欲しい」という電話がかかってきたのだ。

 敢えてセ・リーグ最大の強敵である巨人への移籍には、私は正直ためらった。しかし余命わずかな義父は大の巨人ファン・長嶋ファンで、娘婿の私が巨人の選手だったらどんなにいいかと以前から思っていた。

 そして私は義父の望みを叶える形で、巨人入りを決めた。当然カープファンからは批判されたが、カープが嫌いなわけではない事だけを分かってもらえればいいと思った。