◆「甲子園に行きたい」。その思いで進学するも・・・
中学校3年間での最高成績は県大会の地区予選での準決勝進出で、鹿児島県大会での上位進出といった輝かしいものはなかったが、高校は甲子園を狙える学校に行きたいと思っていたし、鹿児島市内の名門校からの誘いも確かにあった。
しかし鹿児島市は私の住んでいる末吉町からは非常に遠く、寮か下宿をしなければならない。卒業した先輩からは、名門校の寮生活の厳しさなどもいろいろと聞かされていた。自宅から通おうと思えば、県境を越えた宮崎県都城市の方がずっと近いので、誘いをもらっていた私立の都城高と県立の都城農業高のどちらかを選ぼうと思った。
都城高は私が中1の1970年、都城農高は翌年の1971年にそれぞれ夏の甲子園に出場している。そして両親の「私学に通わせるのは経済的に厳しい」という意向も踏まえて、私は都城農高を選んだ。実家が農業だからとか、卒業後の進路という事よりも「甲子園に行きたい」という思いだけで選んだように思っている。
ただ実家から通えるとはいえ、距離にすると片道で約20キロはあった。公共交通機関がほとんどないこの道のりを、私は自転車で通学する事にした。入学した当初は一生懸命漕いでも約1時間15分かかっていたが、2年生になると約1時間で、さらに3年生になると50分少々で学校に着けるようになっていた。
私がいた1973年から1975年までの間、都城農高は県内でもトップクラスの実力があった。九州大会には春と秋で4回出場しており、甲子園が懸かった夏以外は、春と秋の宮崎県大会で何度か優勝している。熊本藤崎台球場で行われた3年の春季大会では、1回戦の伝習館高(福岡)戦で完全試合を達成した。しかし結局、甲子園に出場する事はできなかった。
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