RCC中国放送の坂上俊次アナウンサーが、JNN・JRN系列の優れたアナウンスに贈られる「第51回アノンシスト賞」のテレビスポーツ実況部門で最優秀賞を受賞した。
対象となったのは、3月29日に放送されたRCCテレビのプロ野球中継 広島-中日戦。昨季まで守護神としてカープを支えてきた栗林良吏投手が、プロ6年目で先発転向後初登板を迎え、1安打完封勝利を挙げた一戦の実況だった。
審査員からは「快挙への期待膨らむスタジアムの高揚感を、選び抜かれた言葉で高めながら、冷静に緊張感を伝えた」と評価された。だが坂上アナ本人は、「大変喜ばしいことなのですが、正直、なぜ受賞できたのだろうという気持ちもあります」と率直に語る。
坂上アナはこれまで700試合以上カープ戦を担当してきた実況のプロフェッショナルだ。同賞は2020年度以来、5年ぶり2度目の受賞となる。しかし、野球実況での受賞については、むしろ意外な思いの方が強かったという。
「野球以外にも素晴らしいコンテンツはたくさんありますし、系列各局も野球中継には力を入れています。競争の激しいジャンルですから、もう野球実況で受賞することはないと思っていました」
今回、審査対象となったのは『9回表の実況』だった。栗林が完封をかけて9回のマウンドへ向かう緊迫した場面。そこで思いがけない出来事が起きる。昨季まで栗林が守護神としてセーブシチュエーションでマウンドに上がる際に使われていた登場曲『Narco(ナルコ)』が球場に流れ始めたのだ。放送席でも誰も予想していなかった演出だった。ここで、坂上アナのスイッチが入った。
「その瞬間に思いました。ここは雑談をしてはいけない。この緊張感を絶対に切ってはいけない、と。ここは自分が喋るところだと思いました」
栗林は昨季までに通算134セーブを挙げている守護神だったが、今季からは先発へ挑戦。この日は栗林にとって今季初登板、プロ初先発。栗林は快投を展開し9回表、1-0での完封目前という、誰も予想しなかった展開を迎えていた。
マウンドで投球練習が行われるわずかな時間、坂上アナは栗林との取材の情景を思い浮かべながら、自分自身で“喋る時間”をつくった。
「ボクシングの世界タイトルマッチで選手が入場するような感覚でした。プロ入りから昨年までストッパーを務めていた投手が、プロ初先発で完封しようとしている。その偉業がどれだけ特別なのか。マウンドへ向かう時間で伝えなければと思いました」
坂上アナは試合前、栗林本人に取材していた。先発転向について聞くと、「ペース配分を考えるのではなく、1イニングずつ全力で積み重ねていく」と語っていたという。だからこそ、この日の投球は予想を超えていた。
「もちろん良い投球をされるだろうと思っていました。でも、まさかプロ初先発でこういうことが起きるとは思わなかったです」
一方で、実況席には別の緊張もあった。この試合は、坂上アナにとって今シーズン最初の野球実況だった。
「実は前の日、寝られなかったんです。喋れるかどうかじゃないんです。『途中でトイレに行きたくなったらどうしよう』だとか『あの選手のデータは』・・などを考えてしまうんです。何十年やっていても、シーズン最初の実況は特別なものです」
寝不足の目を冴えさせるため、普段は飲まない『眠眠打破』を2本用意していた。
「6回くらいに1本飲んで、8回に2本目を一気飲みしました。今思えば、なくても十分に目は冴えていました(笑)」
栗林の快投を前にしても、坂上アナは早い段階から盛り上げようとは考えなかった。2024年、大瀬良大地のノーヒットノーラン達成試合をはじめ、過去にも数々の緊張感あるゲームを実況してきた経験があったからだ。
「何度も自分の実況を聞き返して思うのは、ギアを入れるのが早すぎてはいけない、ということなんです」
栗林が7回までノーヒット投球を続けても、8回に初安打を許しても、実況の軸は変えなかった。
「まずカープが勝つかどうか。その次に栗林投手の記録。そう考えていました。そして、1本ヒットを打たれてから。ここからの実況が本番だと思っていました」
そして迎えた9回表。坂上アナはあえて言葉を減らし、球場の歓声を伝えることを優先した。三振を奪っても、すぐには声を重ねない。歓声が湧き上がった後に「三振」と伝えた。解説の天谷宗一郎氏も同じ感覚だったという。
「必要以上に喋らないことを意識しました。球場の空気をそのまま届けたかったんです」
2アウト。あと1人。中日・板山祐太郎を迎えた場面で、突然モニター画面が切り替わる。栗林の完封を期待し、緊張感漂うマツダスタジアム全体の映像が映し出されたのだ。
「その時はもう、言葉はいらないと思いました。あの映像が私を黙らせてくれたんです」
そして栗林は最後の打者、板山を空振り三振に打ち取った。
「初完封まであと1球、空振り三振!」
結果的に、その言葉がプロ初完封を伝える決定的なフレーズとなった。この日、栗林は95球で完封。『マダックス』を達成した。だが、坂上アナが伝えたかったのは、“マダックス達成”という記録ではなかった。
「95球完封はもちろんすごい記録です。でも私が伝えたかったのは、プロ入りから昨年までリリーフだけをやってきた投手が、先発転向初戦で1安打完封したという事実なんです」
試合終了直後には、さらに印象的な映像が映し出された。栗林と投げ合った中日のエース・髙橋宏斗がベンチから拍手を送る姿だった。
「よくあの映像を抜いてくれたと思いました。この試合を実況をしていて、最後のご褒美のような映像でした」
後日、球場で栗林本人とすれ違った際に、「おめでとうございます!」と思いがけない言葉を掛けられた。受賞のことを本人にまだ伝えていなかった坂上アナは驚いた。
「どこかで知ってくれていたのかもしれません。本当にうれしかったです」
今回の受賞で、あらためて感じたことがある。
「評価していただいたのは、必要以上に喋らなかったこと、間の部分も含めてだったのかもしれません」
実況アナウンサーの仕事は言葉で伝えることだ。しかし、この日の9回に限っては違った。言葉を足すより、球場の空気を届けること。歓声に耳を傾けること。栗林良吏の挑戦を、余計な装飾なく見届けること。
伝えるために喋る。そして、伝えるために黙る。今回のアノンシスト賞最優秀賞は、その難しさと価値を改めて証明する受賞だったのかもしれない。
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