現役時代には新人王をはじめ、盗塁王、ゴールデン・グラブ賞に輝くなど、カープの主力選手として活躍した梵英心氏。

 カープ退団後は社会人野球エイジェックで選手兼任コーチとしてプレーし、2019年に選手を引退。2020年はJFE西日本硬式野球部のコーチを務め、2021年からはオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任することが決まった。

 本連載では梵氏の著書「梵脳 失敗したらやり直せばいい。」を元に、梵氏が歩んできた野球人生に迫っていく。2回目の今回は、大学4年の時に参加した中日の春季キャンプでの出来事にスポットを当てた。

駒澤大3年の頃から頭角を現わしつつあった梵氏。プロ野球選手のレベルは想像を遥かに上回るものだったという。

◆プロの世界に触れて感じたのは、憧れではなく“絶望に近い感情”

 駒澤大4年になる直前の春、梵は当時山田久志監督率いる中日ドラゴンズの春季キャンプに参加する機会を得た。場所は沖縄の北谷で、全日本のユニホームを着用して2月1日のキャンプインから合流。約2週間の参加ではあったが、井端弘和や立浪和義といった名選手に混じり、一通りの練習をこなしていった。

「よく覚えているのは福留孝介さんに茶々を入れられたことです。ロングティーのときに隣同士だったんですが、逆風だったこともあって僕は全然打球を飛ばすことができませんでした。すると福留さんが『お前、全然飛ばないな』と。『どうすれば飛ぶようになるでしょうか』。緊張で声が震えましたが、意を決して質問をぶつけてみました」

 この質問に対し、福留は言葉ではなくバッティングで回答した。普段は左打席ながら、不慣れな右打席に入り軽々と打球を飛ばし始める。圧倒された梵は極度の緊張も手伝い、それ以上は何も質問することができなかったという。

「プロの世界に触れることで普通ならプロ入りへの思いが強くなるのでしょうが、自分の場合は逆でした。正直、『これは無理だ。レベルが違いすぎる』と思いました」

 話はさかのぼるが、大学3年秋の神宮大会で優勝したあと、梵は全日本の代表メンバーに選出されている。その際にすでに日大の村田修一、早稲田大の和田毅、鳥谷敬らのレベルの高さに衝撃を受けていただけに、それを上回るレベルのプロを目指すことなど考えられなかった。

 卒業の時期が迫るなか、梵の心は揺れていた。野球を続けたいという気持ちはある。そして実家の寺を継ぐのであれば、京都に資格を取りに行かなければならない。理想と現実のはざまで、梵の気持ちは大きく揺れ動いていた。

 そして2002年秋。広島に帰ろうと学業に専念していたとき、駒澤大の太田誠監督から思いも寄らない言葉を投げかけられたのだった──。(#3に続く)

●梵 英心(そよぎ えいしん)
1980年10月11日生、広島県出身。三次高-駒澤大-日産自動車-広島(2006~2017年)-エイジェック(2018年~)。2005年大学生・社会人ドラフト3巡目でカープ入団。2006年に新人王を受賞。2010年には初の打率3割(.306)を達成し、43個で盗塁王、ショートとしてゴールデン・グラブ賞にも輝いた。2013年には選手会長に就任。2017年オフにカープを退団。2018年に社会人野球・エイジェックで選手兼コーチとしてプレー。2019年10月11日に現役引退を発表。2020年にはJFE西日本硬式野球部のコーチを務め、2021年からはオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任することが決まった。