現役時代には新人王をはじめ、盗塁王、ゴールデン・グラブ賞に輝くなど、カープの主力選手として活躍した梵英心氏。

 カープ退団後は社会人野球エイジェックで選手兼任コーチとしてプレーし、2019年に選手を引退。2020年はJFE西日本硬式野球部のコーチを務め、2021年からはオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任することが決まった。

 本連載では梵氏の著書「梵脳 失敗したらやり直せばいい。」を元に、梵氏が歩んできた野球人生に迫っていく。6回目の今回は、2011年からカープを退団する2017年までの7年間にスポットを当てた。

25年ぶりの胴上げの瞬間は一軍に帯同していたが、年間通じての出場はわずか7試合。悔しいシーズンとなった。

◆現役続行、それとも現役引退か

 左膝への自打球の影響で、梵は2011年シーズンの大半をリハビリに費やすことになった。翌2012年、137試合の出場を果たしたものの、守りの面で22失策。左膝をかばうあまり右膝にも負担がかかっていた。シーズンオフには右膝半月板損傷のため、プロ入り後初となる手術に踏み切った。

 術後は走攻守すべてのプレースタイルを見つめ直した。打撃面では基本的な理論を度外視した左足を軸足とするフォームに変更し、走塁では「無理に走らないように」という考え方を取り入れた。守備面でも無理に突っ込まなくても捕球できる方法を模索した。

 2013年は共にチームを支えてきた東出輝裕(現カープ二軍打撃コーチ)がキャンプで大ケガを負い、前年の手術の影響で不振に陥った栗原健太(現中日一軍打撃コーチ)らが開幕スタメンから外れた。手術明けの梵自身はなんとか開幕に間に合いスタメン出場。開幕のラインナップには菊池涼介、丸佳浩の“キクマルコンビ”に堂林翔太ら若手が名を連ねるなど、カープの世代交代を予感させた。

 チームは当時鬼門と言われた終盤戦で快進撃を見せ、球団初のクライマックス・シリーズ進出を果たした。梵自身は117試合に出場。勝負強い打撃を見せ続け、規定打席こそ到達しなかったものの109安打、打率.304をマーク。ファイナルステージで巨人に敗れたものの、梵の中でも久々に充実感を味わうシーズンとなった。

 翌年には東出から選手会長を受け継ぎ、グラウンドではショートからサードにコンバートされた。シーズン後には大きなニュースが、チーム内外を駆け巡った。

 梵自身はFA宣言をせずカープに残留。チームとしては野村謙二郎監督が退任。そして黒田博樹、新井貴浩がカープに復帰した。

 カープ人気が過熱していくなか、梵は2015年シーズンに故障以外では6年ぶりとなる二軍降格を味わった。翌2016年はプロ11年目にして初の開幕二軍スタート。25年ぶりの胴上げの瞬間は一軍に帯同していたが、年間通じての出場はわずか7試合のみ。悔しさしか残らないシーズンとなった。

 再起を誓って迎えた2017年も、二軍での代打が中心となるなど状況を打破することはできなかった。一軍での出番がないまま迎えた9月、ついにそのときは訪れた。

 「来季は戦力として考えていない」

 大野練習場のクラブハウスで球団から告げられたのは、非情な宣告だった。

 現役にこだわった梵は自由契約を選択し、12年間在籍したカープを退団。その後は水面下で他球団への入団を目指し動いたが、なかなか色よい返事は聞かれなかった。刻々と時間だけが過ぎていくなか、家族のことも考え「4月、5月までに次の所属先が決まらなければ引退しよう」と考えていた──。(#7に続く)

●梵 英心(そよぎ えいしん)
1980年10月11日生、広島県出身。三次高-駒澤大-日産自動車-広島(2006~2017年)-エイジェック(2018年~)。2005年大学生・社会人ドラフト3巡目でカープ入団。2006年に新人王を受賞。2010年には初の打率3割(.306)を達成し、43個で盗塁王、ショートとしてゴールデン・グラブ賞にも輝いた。2013年には選手会長に就任。2017年オフにカープを退団。2018年に社会人野球・エイジェックで選手兼コーチとしてプレー。2019年10月11日に現役引退を発表。2020年にはJFE西日本硬式野球部のコーチを務め、2021年からはオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任することが決まった。