2008年、プロ初の開幕投手を任された大竹寛投手。この年、4年連続規定投球回を達成し、Aクラス争いを続けるチームを支えた。

◆先発の柱へ!精神的な成長を遂げるきっかけとなった7年目

【大竹寛 (2002年-)】
みんなで戦っている、そういう気持ちは常に持っていたいんです
(広島アスリートマガジン 2008年4月号)

 2001年ドラフト1巡目でカープから指名された大竹寛(現巨人)。カープ在籍時、最も期待されたのが絶対的エースとして君臨していた黒田博樹が大リーグに移籍した翌年の2008年だ。

 高卒でカープに入団した大竹は、この年プロ7年目。先発投手として3年連続で規定投球回を達成しており、プロ初の開幕投手が期待されていた。

「投げたい気持ちはあります。ただ、そこで投げるためには、ふさわしい結果を出したり、ふさわしい投手にならないといけません」

 ブラウン監督が就任したこともあり、カープ投手陣は世代交代が進み、さらに、大黒柱だった黒田が抜けたことで、大竹は若い投手陣を引っ張る役割も担っていた。

「プレッシャーは毎日感じています。春先の合同練習から『自分がしっかりしなければ』ということが常に頭にあって、これまでと違った責任感を自分なりに感じるようになりました。試合だけじゃなくてキャンプ中も練習中も、後輩もいるわけですし見られているという意識は自分なりに持たなくてはいけないと思っています」。

 かつてはマウンド上で自分を見失うことも多かった大竹だが、さまざまな経験を重ねることで、責任感が芽生え、心技体で大きく成長。試合中には、ナインとハイタッチをかわし、連携プレーが成功した時にはガッツポーズで守備陣に感謝のサインを送るなど、チームメイトとのつながりを大切にするようになった。

「試合になると気持ちが入ってしまうことが多くて、そういう時は自分ひとりしかいないという気持ちが強くなってしまうんです。でも、そういう時にチームメイトが声をかけてくれれば救われる。みんなで守っているとか、戦っている、そういう気持ちは常に持っていたいんです」

 迎えた2008年3月28日の中日との開幕戦(ナゴヤドーム)。勝敗こそつかなかったが、大竹は初の開幕戦のマウンドで8回1失点のピッチングをみせた。旧市民球場ラストイヤーとなったこの年、チームはペナントレース終盤までCS進出争いを繰り広げ、広島を大いに盛り上げた。その始まりは、投手陣の柱としての自覚が芽生え始めた大竹の開幕戦の好投だった。