バッターボックスに立ち、バックスクリーンに鋭い視線を送る内藤選手。

◆カープの足を使う野球がすごくかっこ良く見えた

─ ファン時代には考えられなかったことだと思いますが、かつてカープファンだった内藤少年に声をかけるとすれば、どのような声をかけますか?

 「むしろ声をかけて未来が変わってしまったら、こんな贅沢な時間を過ごせないですからね。声をかけなくても自然とカープを好きでいるはずなので『これからも野球を見続けた方がいいよ』くらいですかね。あまり細かいことを言って未来が変わってしまうと困るので(笑)」

─ なるほど。では改めて、なぜカープを好きになったのか。すでにいろいろなところで語られていますが、今一度その理由を聞かせてもらえますか?

 「父親が大の巨人ファン、プロレスファンだったので、小さいころから『王、長嶋、猪木は“さん”付けで呼べ』と教育されていました(笑)。自然と巨人ファンになって、中でも原辰徳さんが好きでしたね。でも原さんの出番がだんだん少なくなり心が揺れるときがあって、そのときにカープの足を使う野球がすごくかっこ良く見えたんです。時期でいえば1994年です。小学生の頃って足が速いと女の子からモテたりするじゃないですか。カープの野球を見て、足を使う野球と、熱狂的な応援に惹きつけられるものがありました」

─ 足で言うなら野村謙二郎さんらが活躍していた時代ですね。

 「そうですね。あとは緒方(孝市)さんとか。でも一番最初に好きになったのは、あまり足を使う選手ではない江藤(智)さん(笑)」

― 少年野球チームで野球、そしてサッカーもやっていたそうですね。

「そうですね。高校までサッカーもやっていました。野球は地元の少年野球チームに入って、ポジションは1番ショート。始めたころから泥臭くてもいいから出塁することだけを考えてバッターボックスに立っていました。普通は小学生のころはホームランを狙うんでしょうけど、自分は振り逃げでもなんでも出塁できればいいと思っていましたね(笑)。カープが好きになったのは、自分がやっていた野球とマッチしたというのもあります」

― 巨人ファン時代は、どれくらいの野球熱だったんですか?

「カープを応援するような感じではなかったですね。テレビ中継は毎試合見ていましたし、球場にも年に何回かは行っていましたけど、カープほど熱を入れて応援はしていませんでした」(#2に続く)