サンフレッチェ広島に12年在籍し、3度の優勝に貢献した佐藤寿人が現役引退を表明した。それを受けてサンフレッチェ広島OBの吉田安孝氏が、在籍期間の思い出を回想。歴代2位となるJ1通算161得点など、数々の金字塔を打ち立てた不世出のストライカーとのさまざまなエピソードを3回にわたって振り返る。

2007年、J2降格が決まった直後、サポーターに向かって1年でのJ1返り咲きを約束した佐藤寿人選手。

◆自分よりも周囲のことを考える佐藤寿人らしい決断

 先月、佐藤寿人が現役引退を表明しました。一報を聞いての率直な感想は「まだプレーヤーとして十分やれるのに」という思いですね。本人もそうだったと思いますが、我々からしても「まだやってほしい」という気持ちでいっぱいでした。サポーターの誰もが思っていたと思うんですけど、最後は紫の11番のユニホームを着て、そこで引退というのが理想でしたよね。

 ただ、そこは本人の美学でしょうし、ストライカーとしての美学というものをすごく大事にしたのかなと思います。引退会見で彼は「本当の意味で貢献できているかと言えばそうではない」とコメントしていましたが、自らのことを客観視できる佐藤寿人らしい決断だったと思います。

 ピッチ上のプレーはもちろん素晴らしかったんですけど、サンフレッチェのサポーターからすれば彼の人間性に惹かれた部分は大きいでしょうね。その最たる例が2007年のJ2降格時じゃないでしょうか。

 降格が決まったときに、涙を流しながら真っ先にサポーター席に駆け寄って「絶対に1年で戻ろう!」とスタンドに向かって叫びました。あれだけの選手ですから、誰もが他のJ1クラブに移籍する姿を思い浮かべたはずです。

 それでも寿人は真っ先に残留を表明して、しかも本当に1年でサンフレッチェをJ1に押し上げました。それもJ2得点王という文句なしの成績を残した上で。もう、ここまできたらドラマですよね。

 自分で筋書きを描いて、その上でサポーターの心を惹きつける。それも狙ってやっているわけじゃなく、自然にプレーして自然に発言して成し遂げる姿に周りの誰もが惹かれて、あれだけのカリスマ性が生まれたのだと思います。

 サンフレッチェに入団する前の仙台でもJ1昇格を優先して、サンフレッチェを含むJ1クラブからのオファーを全て断っていますよね。自分のことよりも、まずはクラブやサポーターのことを考える。そういったところは終始、一貫していた選手でした。