もちろん、チームバッティングも頭にあった。ある大一番を前に、OBに声をかけられたことがあった。「エルちゃん、セーフティーバントでも頼むよ。塁に出てくれ」。冗談交じりの言葉に「自分の足なら、俊足ではないからドラッグバントにしないとセーフになれないな」と即答するあたりにも、人柄とチームへの思いがにじんでいた。

 投手の配球は頭に叩き込んだ。変化球の多い攻め、なかなかストライクゾーンに勝負もしてこない。それでも、彼は苛立ちを見せることなく、ひたすらに対応策を考えた。14年には37本塁打でホームランキングのタイトルも獲得したが、それだけが彼の勲章ではない。ベースまでの全力疾走、守備への高い意識、状況を考えながらのバッティング。あくまで長打はフォア・ザ・チームの延長線上にあった。

 彼からアメリカ時代の野球カードをもらったことがある。大きな構えから豪快なスイングをする写真が印象的なカードだった。エルドレッドは懐かしそうに写真を見つめながら、大きな声で笑う。

 「ちょっとオーバースイングだね。今は、もう少しコンパクトになっているよ」

 この変化はシュールストロム駐米スカウトも認めるところだ。

 「日本に来てからの彼の打席を見ると、打席での無駄な動きが省かれ、ヒッチする癖も改善されていました。しっかりレベルスイングで振れるようになっていました」

 やみくもに力任せでバットを振らない。かといって、小さくまとまるわけにはいかない。研究と改善を重ね、エルドレッドは日本野球への『最適化』を図っていったのである。

 いや、言葉が違うかもしれない。彼は、新たなチャンスの舞台でチームの力になるべく、ファンに愛されるべく『TRY』を重ねたという表現の方が相応しいかもしれない。

取材・文/坂上俊次(RCCアナウンサー)
1975年12月21日生。テレビ・ラジオでカープ戦を実況。 著書『優勝請負人』で第5回広島本大賞受賞。2015年にはカープのベテランスカウト・苑田聡彦の仕事術をテーマとした『惚れる力』を執筆した。