1990年、選手の発掘と育成を目的に、カープが『ドミニカ カープアカデミー』を設立してから、今年で35年目を迎えた。これまで30人を超える選手を輩出してきたアカデミーは、日本球界で初めてドミニカ共和国に設立された野球学校だ。ここでは、過去にカープに在籍したドミニカンの活躍を振り返っていく。(全3回/第2回)
◆「15勝をあげチーム勝ち頭に」ロビンソン・チェコ 1992-1993、1995-1996
最初の契約では肘の故障が響き、わずか2年で自由契約に。しかし1995年に再契約を果たすと、同年の4月12日の阪神戦で初登板を果たし、初物づくしの完封勝利を飾ってみせた。
その後も年間を通して登板を続け、チームトップの15勝をマーク。カープアカデミーにとっての最初の成功選手となった。
しかし、シーズンオフにはボーナス契約や代理人交渉の面で球団と折り合いがつかないというトラブルも。最終的には翌年もカープでプレーすることで合意したが、わずか9試合の登板、4勝1敗の成績に終わりシーズン終了と同時に退団した。
◆「初打席初本塁打デビュー」サビエル・バティスタ 2016-2019
2016年3月にカープと育成契約を結び、同年はウエスタン・リーグで68試合に出場したバティスタ。
翌年は同リーグで開幕から好成績を残し、6月3日に支配下選手契約をつかみとると、同日のロッテ戦で一軍で即出場機会を与えられ、初打席初本塁打の衝撃的なデビューを果たした。
翌日には外国人選手では史上初となる、初打席から2打席続けての本塁打を記録。クレート通訳とのヒーローインタビューも話題となり、瞬く間にカープファンに認知された。
一軍では打撃の確実性も増し中軸で結果を出し続けたが、シーズンが佳境を迎えた夏場にドーピング検査において陽性反応を示し戦線を離脱。
6カ月間の出場資格停止処分のすえ、2020年3月2日にカープから契約解除が発表された。
(第3回へ続く)