カープ黄金期にエースとして活躍し、チームを優勝に導いた北別府学氏。現役引退後も愛のある解説で、多くのカープファンに愛されてきた。2023年6月の訃報から2年が経ついま、改めて『精密機械』と称された右腕の足跡を振り返る。

 2023年6月19日に執り行われた北別府学氏の葬儀。そこで弔辞を読んだのが、黄金期を支えた同世代左腕・大野豊氏だ。ともに先発として、そして、先発と抑えとして投手王国を築き上げた大野氏が、『エース』と呼ぶ盟友との思い出を振り返った。(広島アスリートマガジン2023年8月号掲載)

北別府氏と共にカープ投手王国を支えた大野氏

盟友に捧げた、人生初の弔辞

 彼は闘病生活を公表していましたが、私は報道されるまで全く知らなかったもので、最初にニュースを見た時に驚いて連絡を入れました。

 「しっかり治してください」と伝えると、「心配をかけて申し訳ありません。完治を目指して頑張ります」と返事をしてくれたことを覚えています。彼の闘病期間がちょうどコロナ禍の真っ只中だったこともあって、直接会うことはできず、メールでやり取りする程度の交流しか持つことができませんでした。

 本来であれば2022年に開催された『レジェンドゲーム』に北別府も一緒に参加する予定でしたが、その頃にはマウンドで投げることが難しい状態だという話は聞いていました。せめて、車椅子でも構わないから、みんなに顔を見せてもらえれば……という思いもありましたが、それもコロナ禍にあって、なかなか難しいということでした。

 代わりに私が北別府の背番号のユニホームでマウンドに上がらせてもらったのですが、これは黒田(博樹)から、「やっぱり、大野さんが投げるのが一番良いと思います」と言ってもらったことが理由の一つです。ああやって、北別府のユニホームを身にまとって参加できたことは、今思い返しても非常に良かったなと思います。

 北別府の葬儀では、私が代表して弔辞を読ませてもらいました。

 私にとっては、弔辞を読むこと自体が初めての経験です。もちろん寂しいという思いもありますし、当時のことを思い出すと、こみあげてくるものがありました。実際に祭壇の前に立って、飾られた北別府の笑顔の写真を見ながらお別れの言葉を口にしようとすると、やはり胸が詰まるような思いになりました。まだまだ65歳という年齢でしたし、大病にかかっても、なんとか乗り越えようと必死に頑張っていると聞いていましたから、それを乗り越えることができなかった悔しさ、苦しさがいかばかりだろうと感じました。写真と言えども、北別府の目の前で別れの言葉を述べるというのは、本当に辛いものがありました。

 北別府は、球団初の生え抜きでの20勝投手で、私たちの時代の『カープのエース』と呼べる存在でした。年齢は彼の方が下ではありましたが、プロとしての生活は北別府の方が長かったわけですから、チームのエースとして一緒にカープで過ごすことができたことは、本当にありがたいことだったと感じています。

 そういった思いもこめて、精一杯、弔辞を務めさせてもらいました。