◆7年の空白を経て背番号『7』が復活

 7年間の空白を経て“相応しい選手”として背番号『7』を復活させたのが、現在もこの番号の持ち主である堂林翔太だ。中京大中京高時代はエース兼4番でチームを牽引。3年夏には甲子園で全国優勝を果たし、2009年にドラフト2位指名を受けカープに入団。プロ3年目の2012年には、野村謙二郎監督からの期待を受けて開幕スタメンで一軍初出場を果たし、全144試合に出場した。

 この2012年には両リーグワーストの29失策、150三振などを喫する一方、14本塁打を放つなど非凡な打撃センスも見せ、翌2013年には半永久欠番として扱われていた背番号『7』を継承することとなった。しかし、その後は周囲の期待に応える活躍を見せることはできず、長らく一軍と二軍を行き来するシーズンが続いた。2019年は、一軍出場を果たすようになって以来最低となる28試合の出場にとどまった。

 しかし背水の陣で臨んだ昨季は春先から好調をキープし、2014年以来6年ぶりとなる開幕スタメンを勝ち取った。シーズンに入っても好調を維持し、一時は打率4割超えでリーグの首位打者を快走。8月、9月にやや打撃成績を落としたものの、10月から再び上昇気流に乗り2012年と同じ自己最多タイとなる14本塁打、打点(58)と打率(.279)は自己最多を更新する成績を残した。今季も2年連続で開幕スタメンを勝ち取り、チームの653日ぶりの単独首位を実現させた一員にもなった。

 その活躍によって永久欠番になりかけるなど、野村謙二郎のイメージが現在も強い背番号『7』。現在進行形の堂林が、そのイメージも塗り替えるほどの活躍を見せることができるかに注目が集まっている。

【背番号『7』を背負った主なカープ選手】
銭村健四(外野手/1955年-1956年)
緋本祥好(外野手/1957年-1960年)
山本一義(外野手/1961年-1975年)
内田順三(外野手/1980年-1982年)
野村謙二郎(内野手/1989年-2005年)
堂林翔太(内野手/2013年-)