カープの打撃陣が苦しんでいる。プロ2年目の玉村昇悟が5回2失点の好投を見せたものの、チームは今季6度目の完封負け。投手陣の状態は悪くないだけに、巻き返しを図る上で必要となるのは、やはり打撃陣の復調だ。

 振り返ればカープにはこれまで勝負強い打撃を兼ね備えた和製大砲が数多く存在した。ここでは数々の殊勲打を放ってきた、リーグ初優勝以降の“生え抜き4番”を振り返る。

2008年からカープの4番を務め、WBC日本代表にも選出された栗原健太選手。

◆「ミスター赤ヘル」山本浩二 1975-1986
<通算成績:2284試合 2339安打 536本塁打  1475打点  打率.290>

 1968年ドラフト1位で法政大から入団。1年目からレギュラーに定着し、75年6月下旬から4番に座る。同年打率.319、30本を達成し、首位打者のタイトルを獲得。チームに初優勝をもたらす活躍でシーズンMVPを受賞した。その後も79、80、84、86年とチームが優勝を果たしたいずれの年も4番としてチームを牽引。引退した86年まで4番の座を譲らず、球界を代表する4番打者として、その名を轟かせた。

◆「赤ヘルの若大将」小早川毅彦 1987-1989
<通算成績:1431試合 1093安打  171本塁打 626打点 打率.273>

 1983年ドラフト2位で法政大から入団。背番号6を背負い、1年目からクリーンアップとして打率.280、16本塁打をマーク。“赤ヘルの若大将”として活躍を見せ、新人王を獲得した。1986年に山本浩二が引退すると、入団4年目の翌1987年から勝負強い打撃を期待され4番として起用された。同年にキャリアハイの24本塁打をマークすると、リーグ最多の勝利打点16を記録するなど勝負強い打撃を見せた。

◆「無類の勝負強さ」西田真二 1991
<通算成績:777試合 402安打 44本塁打  226打点  打率.285>

 1982年ドラフト1位で法政大から入団。入団以降、主に代打の切り札として活躍した。山本浩二監督が就任すると出場機会が増え、1989、1990年は規定打席未到達ながら、シーズンを通して3割を超える打率をマーク。入団9年目の1991年にはシーズン途中から4番に定着。優勝決定試合でも決勝タイムリーを放つなど、勝負強い打撃で6度目のリーグ優勝に貢献した。