◆話し合い以降、良い意味で気持ちが吹っ切れた

 外国人監督は初めてだったこともあり、最初はどのような考えで野球をやるのか全く分かりませんでした。そしてマーティーはいつも選手に対して、「監督室のドアはいつでも開いているから、いつでも来いよ」と言っていました。

 あの当時、僕はモヤモヤした気持ちを抱えながらプレーを続けていたわけですが、あるとき実際にマーティーと話し合いの場を持たせていただきました。そのとき監督は「もう少し素直になっていい。肩肘を張らずに会話を重ねながらコミュニケーションを取っていこう」と言ってくれました。

 僕は言って良いものか悩んでいたことを正直に伝えさせてもらいました。そこからは監督に対するわだかまりは一切なくなりました。この話し合い以降は、マーティーとは何かにつけ話をするようになり、僕の中で良い意味で気持ちが吹っ切れてプレーできるようになりました。

 倉さんとの激しいポジション争いは続きましたが、倉さんがマスクをかぶる日はずっとプレーを見ていました。お互いに切磋琢磨することで、間違いなく僕を成長させてくれた存在でした。

 また倉さんとは普段は仲良くさせていただいていましたが、僕が後輩なので、気を使ってくださっていた部分もあったと思います。新井(貴浩)さんも交えて倉さんと食事をすることもありましたが、そういう時間も仲良くさせていただくキッカケのひとつになったと思っています。

 そう考えると新井さんのおかげで倉さんと、いろいろな話をできる関係性になったと言っても過言ではありません。新井さんにはすごく感謝しています。