2025年11月、『東京2025デフリンピック』が開催され、東京の地で世界から集まった、聴覚障害を持つアスリート達が躍動した。それから約1カ月後の12月初旬、千葉県で『ろう野球』の日本代表選考を兼ねた強化合宿が行われた。
ろう野球はデフリンピックの開催種目でなく、世間的な知名度もまだ低い。『日本ろう野球協会』の発足は2020年と、最近の出来事なのだ。2024年に『第1回世界ろう野球大会』が台湾で開かれ、日本は優勝を果たした。2026年には日本で第2回大会も開催予定ではあるものの、話題になっているとは言い難く、クラウドファンディングなどを用いて、協会や選手たちは活動資金や知名度獲得に向けて努力を続けているのが現実だ。
しかし、聴覚障害者が野球をプレーする歴史は非常に深く、野球の発展に大きく寄与した選手もいるほどだ。アメリカではウィリアム・ホイという聴覚障害を持つ19世紀の選手が有名で、1890年代にメジャーリーグで2044安打594盗塁という超一流の成績を残した。彼の存在が審判のアウト、セーフなどの判定動作の確立につながったとも言われている。近年、大谷翔平の活躍が絵本化されたが、ウィリアム・ホイの活躍を描いた『The William Hoy Story』も絵本として、日米の子どもたちに語り継がれているほどだ。
日本では、1918年にろう者による軟式野球の大会が開かれており、約100年の歴史を持つことになる。今年も『第50回全国ろう社会人軟式野球選手権』が開催された。硬式野球では『遥かなる甲子園』という映画化もされたノンフィクション作品の舞台となった、沖縄県の北城ろう学校が高校野球の大会に出場したなどの例があるものの、大会の開催までは至っていない。
選手個々を見ていくと、DeNA(横浜ベイスターズ)や日本ハムで14年間にわたって活躍した石井裕也投手が代表例だ。音のない静寂な世界で三振を取る姿から「サイレントK」という異名もついた。また、ろう野球日本代表で選手兼任監督を務める野呂大樹も、BCリーグ(当時)の新潟アルビレックスBCで1番打者として盗塁王を3度獲得。独立リーグを代表する選手として、NPBのドラフト候補として名前が挙がる存在だった。
このように高いレベルでプレーする選手も多いため、ろう野球日本代表候補のレベルは高い。この日行われたオープン戦でも、社会人のクラブチームを相手に互角の勝負を展開。招集2日目のチームとあり敗れたものの、18歳から43歳まで、さまざまな経歴を持つ選手たちは躍動した。『ろう野球』は、障害に合わせて最適化した『パラスポーツの野球』というより、『野球』としての1カテゴリと捉える方が、この競技の本質を捉えられているように思える。
選手たちは『ろう野球』がデフリンピック種目として追加されることを願う。しかし、そこまでの道のりは長く険しいかもしれない。しかし、身近に代表選出という目標を見据え、世界大会の連覇、デフリンピック出場と、さまざまな希望を胸に戦い続ける。

