中村奨成が新型コロナウイルスの影響を受け未曾有の事態に見舞われているカープの救世主となった。球団独自の措置で自宅待機となった坂倉将吾に代わり、5月19日の巨人戦で急きょ捕手としてスタメン出場。同点の6回、無死満塁で迎えた第3打席で決勝2点タイムリーを放ち、チームの勝利に貢献した。

5月19日の巨人戦で攻守にわたり活躍した中村奨成選手。プロ初のお立ち台も経験した。

 ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。広陵高時代の3年夏、清原和博(PL学園高)が樹立した1大会の個人最多本塁打記録(5本)を更新したことで一躍、時の人となり鳴り物入りでカープに入団。しかし1年目は二軍で83試合に出場したものの、木製バットへの対応に苦しむなど自問自答の日々を繰り返した。

 巻き返しを図り臨んだ2年目は、春季キャンプ序盤に右第一肋骨を疲労骨折。スタートと同時に競争の機会を奪われ、失意の戦線離脱を余儀なくされた。思いのほか回復に時間を要し、医師から最終的なゴーサインが出たのは5月末。初の実戦の舞台は、ウエスタン・リーグ開幕から3カ月もずれ込んだ6月18日のことだった。

 それまでの遅れを取り戻すかのように、先発のメナを7回無失点の好リードで導いたが、8回の第4打席、左前側頭部に死球を受け2度目の戦線離脱。結果的にプロ2年目も完全燃焼とは程遠いものだった。

「これまでの遅れを取り戻すしかないという思いで試合に入っていって、その試合でデッドボールでしたからね……さすがに凹みました。『野球に見放されたのかな』と思ったこともありましたし、正直野球をするのが怖くなりました」
(広島アスリートマガジン2020年2月号)

 ただプロ3年目に入ると、わずかながら浮上の兆しも見え始めた。初めて一軍の春季キャンプに参加し、開幕一軍入りはならなかったものの、ウエスタン・リーグで首位打者に立ち初の一軍昇格を勝ち取った。1カ月弱の帯同、わずか4打席のみの出場ではあったが、貴重な経験を積み上げた。

 そして迎えた今季。4月16日の中日戦でプロ初安打を放つと、5月19日の巨人戦でプロ初打点も記録。コロナ禍による緊急昇格とはいえ、与えられた舞台で最高の結果を残してみせた。多くの苦しみを味わったドラ1戦士が、この先も攻守両面でアピールを続けていく。