◆後の敏腕スカウトも11年着用

 この『34』を最も長く着けたのが川口で、14年。その次は1964年からの苑田敏彦(最後の年のみ「苑田聡彦」に改名)が11年という記録を持っている。苑田は1969年に外野手から内野手に転向、貴重な控えのユーティリティーとしてチームを支えた。1977年限りで引退後は、敏腕スカウトとして江藤智、金本知憲、嶋重宣、黒田博樹、大竹寛、永川勝浩らの獲得に尽力した。

 苑田の後は投手の高橋里志。1973年に南海から移籍すると、1975年に『53』から『34』に変更。1977年には20勝14敗で最多勝を獲得、球宴にも出場した。

 高橋の後が前述の川口で、その川口の後を引き継いだのが、やはり前述の苑田にスカウトされた嶋重宣だ。1994年ドラフトで2位指名を受けて投手として入団し、1999年からは内野手に転向。これが契機となって首位打者を獲得するなど活躍、“赤ゴジラ”の異名を取った嶋については、背番号『55』の項で詳述している。

 2009年からは、名門の広陵高で活躍し、2008年にドラフト2位指名を受け入団した中田廉が『34』を背負った。2014年に66試合、『26』に移行した2017年には53試合と、貴重な中継ぎ投手としてブレイクしかけたが、完全に殻を破るまでには至らず。今年こそは勝利の方程式の一角として機能したいところだ。