背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

5月20日現在で2勝、防御率2.01の好成績を残している高橋昂也投手。

 今回取り上げる背番号『34』は、前回の『21』ほどではないものの投手の占める割合が高い番号だ。

 この30番台以上は、ドラフト入団のルーキーが最初に与えられて、活躍と共にもっと若い番号に変更されるケースも多い。だが、中にはエースとして活躍しつつ、ずっとその番号を背負っていく選手もいる。『34』で言えば、川口和久がそれだ。

 川口は鳥取城北高校でセンバツに出場した際に好投を見せて注目され、プロ入りの話もありながら社会人野球で活躍。1980年のドラフト会議でカープから1位指名を受けて入団し、1981年から背番号『34』を背負ってプレーした。

 ルーキーイヤーから一軍登録されたものの即活躍とはいかず、翌1982年半ばまで二軍で調整。頭角を現したのは3年目の1982年で、先発ローテーション入りすると32試合に先発しリーグ最多の4完封を含む15勝を挙げ、一気に主力に。同時に与四球104もリーグ最多で、ある意味ダイナミックな川口らしいピッチングの片鱗を見せた。

 以後、1986年から1991年まで6年連続2ケタ勝利。常に真っ向勝負の姿勢と甘いマスクでも人気を集めた。奪三振王を3度獲得する一方で与四球王も6度と、波はありながらも力業で切り抜けていく投球は何度もファンを沸かせた。

 安定した活躍を見せていたが、個人的な事情もあり1994年限りで球団初となるFA権を行使し巨人へ移籍。1998年の引退まで4年間は巨人でプレーした。投手としては北別府学、大野豊らとともにカープを代表する選手のひとりだ。