◆コミュニケーションのとり方を意識し、結果が変わり始めた

 會澤と腹を割って話をしたことをきっかけにして、石原はコミュニケーションのとり方について、もっと考えるようになった。

 野村謙二郎が監督に就任したばかりの2010年の頃は、石原も表向きの空気感はまだトゲトゲしていたらしく、若手からは「めちゃくちゃ怖い」と思われていたという。その裏には、石原が選手会長に就任して「自分が頑張らないと」という思いが強かったという事情もある。

 しかし、その2010年のオフ、獲得していた国内フリーエージェント(FA)権の行使をめぐって球団とじっくり話し合い、勇気を出して一歩踏み込み、自分の気持ちを話したことで、球団の評価を知ることができ、FA宣言はせず残留を決意。「カープで勝ちたい。優勝したい」と決意を新たにしたことで気持ちも吹っ切れ、笑顔で話をする機会が増えていった。

 石原の著書には“怖い空気感”について後輩たちの思いに触れている部分がある。たとえば、2012年にカープに入団した菊池涼介は石原がまだ“怖い空気感”を時折出していた頃を知っており、その後気さくに話をするようになったが、「ロッカーで『テレビのリモコンを取ってくれ』とイシさんに言われただけでうれしかった」とメディアでコメントしていたそうだ。

 また、捕手として投手をリードするうえでも、石原のコミュニケーション術は年輪を重ねつつあった。

 投手は個性的な性格の持ち主であることが多い。たとえば、若い頃、低めを意識して投げてほしいときに、「このへんに投げるくらいの意識でいいですよ」という意図でホームベース付近を指すようなジェスチャーを送ると、本当にそのあたりへ投げてくる投手もいた。そうした経験により、ひとりひとりの気性や性格によって、構え方、言葉のかけ方、リズムなどを変えていく必要性を感じ、アジャストさせていくようになっていく。

 ときにはあえて厳しく接したり、逆にプレッシャーをかけないようにしたり……。その根拠になるのは、日頃からオープンに声をかけることで返ってくる相手の反応によるところが多かった。地道なコミュニケーションによって得られた情報を、自分の中でアップデートして築き上げたものが、この頃から結果につながってきていた。