カープの捕手として19年間活躍し、2016年からリーグ3連覇にも大きく貢献した石原慶幸氏。本稿では、石原氏初の著書『野球人生を変えた たった1つの勇気〜18.44mのその先に〜』の構成を担当したスポーツライター・キビタキビオ氏が、石原氏著書を元に、同氏独自の“コミュニケーション術”に迫っていく。

 第3回目の今回は、後輩の捕手である、會澤翼とのコミュニケーションにまつわるエピソードを中心にお送りする。

會澤翼とは石原氏が食事に誘ったことで距離が縮まっていった。

◆會澤翼とはサシで食事をしてお互いの心が開けた

 広島東洋カープ一筋19年。石原慶幸が歩んできた道のりは、カープが長い低迷期を脱してセ・リーグ3連覇の栄冠をつかむ過程とほぼリンクしている。

 石原の中で、特に若い頃からの成長を実感したのは、とりわけコミュニケーションのとり方にあった。

 2016年。リーグ優勝から長年遠ざかるカープ選手たちが、25年ぶりにセ・リーグを制覇した。このときは、黒田博樹、新井貴浩、そして石原といったベテラン組と、菊池涼介、丸佳浩、田中広輔、野村祐輔らの若手~中堅どころの意思疎通が抜群にとれていた。

 石原は、当時のカープの良きムードを作ることに一役買っている。2015年シーズンから黒田と新井がカープに復帰し、偉大な先輩と後輩たちの架け橋となった。そして2人が復帰前から、後輩選手との距離感を縮める努力を始めていた。

 一番のきっかけは、後輩捕手の會澤翼を誘って、二人だけで食事をしたときだ。

【「俺はなんの隠しごともなしに言うよ」。そんな話から始まり、僕は本音をぶつけた。「二番手を目指したら、そこまでの選手になる。だから一番手を目指せよ。何か分からないことがあったら、なんでも教えられることは教えるから」。これは、別に彼に限ったことではなく、チームにとってプラスになるなら、白濱であっても同じことを言ったと思う。ただ、事実としては、このときを境にして、よく一緒に食事に行くようになった。】

 実をいうと、會澤は石原から食事に誘われた当初、ほとんど口をきいたことがない大先輩だし、なにか気に入らないことがあって怒られるのではないか? と思っていた。ところが、蓋を開けると石原の方から歩み寄ってきてくれたことが分かり、感激したという。

 以前の石原は自分から心をオープンにして後輩の懐に入っていくことは比較的少なかったという。とはいえ、後輩との交流を避けていたつもりもまったくなく、誰とでも分け隔てなく接してきたつもりだった。そのため、後に會澤から誘われた当初の心境を聞かされたときに悟った。

「自分から相手のことをどう考えているか話さない限り、相手にも分かってもらえないんだ」

 それは、マーティー・ブラウン監督に対して、勇気を持って一歩を踏み出して話をしにいったことで、打ち解けることができたときと同じ考え方だった。