◆一軍未経験のままカープに移籍した捕手

 その「捕手の番号」を印象づけた1人である西山秀二は、1987年シーズン途中、前述の永田とのトレードで南海から移籍してきてから18年間「32」を背負った。ドラフト4位指名で南海に入団した西山は、一軍出場がないままトレードによりカープに移籍。南海時代とカープ初期は捕手としての活躍の場はあまりなく、外野手や内野手、代走要員などの役割を担った。しかし、日々鍛錬を続け、1993年にようやく正捕手の座を掴んだ。

 以後はレギュラーとして試合出場が続き、1994年と1996年にはベストナインとゴールデングラブ賞を受賞。1996年には打撃でも打率.314という成績を残した。後年は故障にも悩まされたこともあり、2004年シーズン後に、球団はコーチ就任を打診。だが本人は現役継続の意思が強く、この年限りで巨人に移籍した。

◆甲子園に4度の出場経歴を持つプロ18年目の捕手

 西山の後、2人を挟んで「32」を「捕手の番号」に戻したのが、2008年から今季まで着けている白濱裕太だ。白濱は広陵高で4回の甲子園出場を経験し、2003年のドラフト1巡目でカープに入団。だがなかなか一軍昇格のチャンスをものにできないまま年を重ね、2008年に「12」から「32」に変更となった。

 その後も二軍生活が続き、一軍デビューを果たしたのはプロ8年目、「32」で4年目を迎えた2011年。2012年と2014年には30試合以上の出場を経験したがそれ以外はひとケタで、2020年には3年ぶりの出場となった。

◆1年だけ「32」を付けていた新人王獲得選手

 西山と白濱の間に「2人を挟んで」と書いたが、その2人とは前述のロマノと、もう一人が2006年の梵英心だ。梵は駒沢大から社会人野球で活躍し、2005年の大学生・社会人ドラフトで3巡目指名を受けてカープに入団。

 背番号「32」を与えられた初年はオープン戦から活躍し、開幕戦からスタメン出場。この試合でプロ初安打も記録し、このシーズンは123試合に出場。打率.289、8本塁打、そして三塁打8本は両リーグ最多という記録を残し、新人王も獲得した。

 その活躍が評価され、翌2007年から背番号は「6」に。2010年には144試合にフル出場し、43盗塁で盗塁王を獲得。ゴールデングラブ賞も受賞した。2017年末に自由契約選手となり、選手としてのキャリアを続ける道を模索するも、2019年10月を以て現役を引退した。

 西山が18シーズン、白濱が今のところ14シーズンと、「長く背負う捕手」2人によって現状のイメージがついている「32」。このまま捕手の時代が続くのかどうかは、まずは白濱次第というところもある。今季の動向にも注目していきたいところだ。

【背番号『32』を背負った主なカープ選手】
内田順三(外野手/1977年-1979年)
永田利則(内野手/1980年-1987年)
西山秀二(捕手/1987年-2004年)
白濱裕太(捕手/2008年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。