背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

広陵高出身の白濱裕太選手。今季プロ18年目のシーズンを迎えた。

 背番号「32」は、球団創設から20年以上、「投手の番号」だった。だが1975年以降は、2005年のロマノを除いて投手はいない。さらに近年は「捕手の番号」になったと言っても過言ではない。

「捕手時代」以前の時期は内野手、外野手問わず「32」を着けていたが、1977年に日本ハムから移籍して「32」の持ち主となった外野手が内田順三。東海大一高では甲子園に出場し、駒澤大でも活躍して1969年のドラフトでヤクルト(当時はアトムズ)に8位入団した内田は、3球団目でカープに。最初の2シーズンは打率.331、.327と好調だったが、その後は振るわず、1982年にカープで現役を終えた。

 その後に「32」を背負ったのが、内野手の永田利則だ。広島商で二度の甲子園を経験し、ドラフト2位でカープに入団した永田だったが、一軍出場は2年目の1981年に7試合、4年目の1983年に1試合の計8試合に留まり、1987年シーズン途中に南海に移籍した。