背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2018年から背番号「47」をつけている山口翔投手。

 今回取り上げる背番号「47」の歴史は、「ほぼ投手、ときどき野手」といったところ。2007年以降は投手が続いている。

 その中で13年間にわたって「47」を背負い、現在までのところ最長記録となっているのが金石昭人だ。190cmを超える恵まれた長身で、PL学園高を経てドラフト外で1979年に入団した金石は、プロ4年目の1982年に一軍で初登板を果たす。以後、少しずつ登板機会を増やしていき、1985年以降は一軍に定着。197cmの長身から繰り出すフォークボールを武器に、1986年には12勝を挙げ、リーグ制覇に貢献した。

 1991年シーズン限りで日本ハムに移籍し、1992年には14勝を挙げて復活。これがキャリアハイの勝利数となった。カープ時代にはタイトルに手が届くことはなかったが、リリーフに転向した1993年には最優秀バッテリー賞(捕手は田村藤夫)を獲得。1998年には巨人に移籍し、その年限りで現役を引退。カープファンにとっては、記録よりも記憶に残った選手の一人と言えるだろう。

◆貴重な中継ぎとして活躍した変則サウスポー

 2007年、大学・社会人ドラフト4巡目で入団し、「47」を与えられたのが青木高広。県岐阜商高で甲子園出場経験を持つ青木は、愛知大から日産自動車を経てプロ入り。1年目の開幕から先発ローテーション入りしたが勝ち星は伸び悩み、2011年にはフォームチェンジしてリリーフに転向。キャリア最多となる76試合に登板した。その後、負傷によるブランクを経て、2013年シーズン開幕後に巨人に移籍。2015年に現役を引退した。

 その青木とのトレードで巨人からカープに移籍し、「47」を引き継ぐ形になったのが小野淳平だ。日本文理大で活躍し、ドラフト5位で2010年に巨人に入団した小野は、翌2011年にプロ初勝利。続く2012年は勝ち星を挙げられなかったが、2013年4月にカープに移籍すると6月に移籍後初勝利を挙げた。翌2014年はキャリア最多の22試合に登板するも勝ち星は伸びず、2017年限りで現役生活を終えた。

◆一軍昇格が期待される若鯉・山口翔

 翌2018年から現在まで「47」を背負っているのが山口翔。熊本工業高で2度の甲子園出場を経験した山口は、2017年ドラフト2位でカープに入団。プロ1年目からの一軍登板は果たせなかったが、翌2019年の5月末にプロ初勝利。ブレイクが期待されたが、その後、昨季から今季前半戦までは一軍での登板機会を得られていない。先発ローテーション入りを目指し、まずは一軍復帰を果たしたいところだ。

 山口をはじめ、「47」は、過去ドラフト入団のルーキー3人に与えられているが、思うような活躍を見せて若い番号に「出世」した例はまだない。山口が初の例となれるか、それとも今後、新たにそうした選手が現れるか。背番号「47」は、そこから巣立っていく選手の登場を待っているに違いない。

【背番号『47』を背負った主なカープ選手】
金石昭人(投手/1979年-1991年)
青木高広(投手/2007年-2013年)
小野淳平(投手/2013年-2017年)
山口翔(外野手/2018年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。