2021年夏の全国高校野球選手権広島大会は、広島新庄が5年ぶり3度目の優勝を果たした。広島県は広島商業、広陵など全国的にも名の知れた古豪・強豪校が存在し、数々の名選手を排出してきた。

 日本を代表するスラッガーとして長年プロ野球界を盛り上げ、東京五輪野球日本代表として金メダル獲得に貢献したソフトバンク・柳田悠岐は広島に生まれ、名門・広島商業野球部でプレーしていた。当時は無名の存在だった柳田だが、伝統校での厳しい練習、忘れられないホームランなど高校時代の思い出と、高校球児へのエールを語ってもらった。

柳田悠岐選手が3年間汗を流した、広島商業のグラウンド。

◆最後の夏に放った一発の弾道は、今でも忘れることができない

 毎年夏を前にニュースなどで高校野球の話題を見ると、今年もいよいよ始まるなという気持ちになりますね。母校の広島商業(以下、広商)のことはいつも気になっていますし、応援しています。

 広商は今まで甲子園での優勝もありますし、全国的にも名門校と言われています。ですが、高校時代にそういうプレッシャーを感じることはありませんでした。ずっと甲子園を目指していましたし、3年の頃にはユニホームを着てベンチに入れない同級生もたくさんいて、そのメンバーのためにも頑張らないといけないと思って過ごしていました。

 高校時代を振り返ると、やはり厳しい練習の思い出が多いですね。まだレギュラーではなかった1年生の頃、同級生だけで校外の河川敷をひたすら走ったことが一番印象に残っています。とにかくキツかったですし、1年生みんなで、なんとか助け合いながら練習に臨んでいた記憶があります。あの練習よりもしんどい事は、人生でもなかなかないですね(苦笑)。苦しいことが日々たくさんある中でも、『あの頃に比べれば……』という気持ちで今も頑張れている気がします。

 当時一緒に過ごした同級生のチームメートとは今も交流があります。そういう意味では高校3年間しか一緒ではなかったのに、今でも付き合いが続いているという事は、それだけ中身の濃い3年間だったんだと思います。

 3年生の時も思い出深いですね。最後の夏ですし、楽しくプレーしていました。今でも忘れられないのが、広島大会2回戦で対戦した高陽東との一戦です。あの大会の高陽東は優勝候補でした。僕はその試合で本塁打を打つことができて、最終的に1点差(4対3)で勝つことができました。あのホームランの弾道は今でも忘れることができないですね。準決勝で負けた瞬間は悔しかったですが、その一方で解放されたという気持ちもありました。

 高校時代は迫田守昭監督に指導していただきましたが、怒られた記憶が多いです(苦笑)。忘れられない監督の言葉があるのですが、3年夏の大会が終わった後、僕は「もう野球をやりたくないです」と監督に言いました。すると「お前は野球をやらないといけない。野球を続けろ」と言ってくださいました。迫田監督からそう言っていただかなければ、僕は100%野球を辞めていたと思います。今考えてみても、本当にありがたいですし、僕にとって迫田さんは恩師の1人です。

 広商野球部で過ごした3年間は、自分自身の野球人生で必要な時間だったと思います。それがあったからこそ、今の自分があります。本当に広商に行って良かったと思っていますし、原点とも言える時期だったように思います。

 現在、スポーツ界全体がコロナ禍の影響を受けています。高校野球界も今までと比べると本当に普通ではない状況を強いられていると思います。高校野球に打ち込んでいる球児のみなさんにとっては、想像していた高校野球生活とは違う部分もたくさんあると思います。大変な状況が続いていますが、それでも野球ができることに感謝しながら過ごしてほしいです。このような状況ではありますが、まずは今自分ができるベストを尽くして、後から振り返ったときに良かったと思えるように、何事にも全力で取り組んでほしいです。

ソフトバンク・柳田悠岐選手