東京都の子ども向け柔道アカデミー『coco柔道アカデミー』で指導にあたる、シャーフセイン・シャーさん。パキスタン代表として五輪の舞台に立ったトップアスリートでありながら、コロナ禍ではフードデリバリーの配達員として生計を立てた時期があり、現在はIT企業の経営者という顔も持つ。
『不屈の精神』で激動の時代を生き抜いてきたシャーさんが、柔道を通じて子どもたちに伝えたい「強く、優しく、賢く」という理念、そして指導者としての未来について聞いた。
シャーさんの原点には、一人の偉大なメダリストの存在がある。ソウル五輪ボクシング銅メダリストである父、フセイン・シャーだ。「父が成し遂げられなかった金メダルを獲る」ことが、幼いシャーさんの夢となった。
イギリスで生まれたシャーさんは2歳で来日し、日本で育った。もともとは父と同じボクシングを志していたが、幼少期に「ボクシングは危険だ」という理由から『空手』を勧められる。しかし、両親の勘違いから門を叩いたのは空手ではなく『柔道教室』だった。この小さな手違いが、後のオリンピアンを生むきっかけとなる。
柔道の道は決して平坦ではなかった。188cm(現在193cm)の恵まれた体格を持ちながらも、高校時代は日本一に届かなかった。「柔道を諦め、ボクシングに転向するためにキューバへ行こう」と決意したこともあったという。
転機は大学受験だった。高校の恩師の勧めで「合格すれば柔道に絞る、ダメならボクシングのためにキューバへ行く」という条件のもと筑波大学を受験し、見事合格を果たす。ここから、シャーさんの『柔道家への道』が本格的に始まった。大学時代は、のちに五輪金メダリストとなる仲間たちと切磋琢磨し、無差別級の団体戦で史上初となる優勝を飾る。着実に五輪は現実的な目標へと変わっていった。
大学卒業後、スポンサー支援を頼りに五輪への準備を進める一方で、シャーさんは「事業を起こす」という将来も見据えていた。ビジネスを展開するにあたり「どんなに良いものを作っても、営業ができなければ成り立たない」と考え、あえて契約社員として営業の世界に身を投じた。
そこで学んだのは、価値提供の本質だった。 「商品は単なる物ではなく、それによってお客様の人生がどう幸福になるか。そのイメージを共有することが大切だと気づいた。この視点は、今の指導の仕事にも直結している」と振り返る。
ビジネスと競技を両立し、選手としてもピークを迎えたシャーさんは、世界ランクを190位から30位台まで急上昇させ、東京五輪の内定を勝ち取った。順風満帆に見えたが、2020年、コロナ禍が彼を襲う。練習場所は閉鎖され、収入もゼロになった。
五輪直前でありながら、一日の大半をフードデリバリーの配達員として働き、一人でチューブトレーニングに励む日々。「これで五輪の準備と言えるのか」という葛藤を抱えながらも、不屈の精神で畳に上がり続けた。
東京五輪後に一度は引退し、IT企業を設立したシャーは再び柔道の世界に呼び戻したのは、ある柔道家から受けた、指導者としての誘いだった。「最初は指導者に興味が持てなかったが、技術を言語化して伝えるプロセスは、自分自身の学びにもなると気づいた」と語る。
現在、彼が子どもたちに指導する『coco柔道アカデミー』では、英語を交えながら柔道を教えている。それは単なる英語の勉強ではない。身体感覚として英語に慣れさせることで、日本人が抱きがちな心理的な壁を取り払いたいという想いがある。
シャーさんには、アカデミーを通じて実現したい明確な指針がある。それは「強く、優しく、賢く」という三つの理念だ。「弱い人を守れる強さ、人をいたわれる優しさ、そして何が正しいかを判断できる賢さ。オリンピックまでやり抜き、たどり着いたこの根源的な教えを、柔道を通じて伝えていきたい」
シャーさんの新たな挑戦は、これからも続いていく。
◆シャーフセイン・シャー
1993年6月8日生、イギリス生まれ日本育ち
安田学園高-筑波大学
2013柔道アジア選手権 100㎏級 銅メダル
2015柔道アジア選手権 100kg級 銅メダル
2016 リオ五輪 100kg級 出場
父のフセイン・シャーは1988年ソウル五輪にボクシングミドル級で銅メダルを獲得。親子二代でオリンピックに出場した。

