昨年まで広島東洋カープに在籍し、今年6月から独立リーグ・九州アジアリーグの「火の国サラマンダーズ」(熊本)でプレーしていた小窪哲也の千葉ロッテマリーンズへの移籍が決まった。

 補強期限最終日となる8月31日に念願のNPB復帰を果たした小窪。その小窪がカープ時代に話していた秘蔵インタビューをお届けする。今回はプロ1年目の独占インタビュー。ルーキーイヤーを小窪がどんな思いで駆け抜けたか、当時の懐かしいエピソードと共に振り返る。(広島アスリートマガジン2008年6月号で行ったインタビューをもとに編集)

2007年のドラフトで、カープが小窪選手を大学生・社会人3巡目で指名。

―開幕一軍入りこそ逃しましたが、二軍では開幕から常に二番でスタメン出場。そして打率3割5分の数字を残すなど攻守ともに結果を残し、4月26日に一軍昇格を果たしました。自らの力で勝ち取った一軍行きの吉報を聞いたときはいかがでしたか?

「由宇での阪神戦が終わって大野寮に戻って来た後に、田村さん(二軍マネージャー)から聞いたんです。ただ、いきなり『横浜に行け』と言われて。時間がなかったので実感もなく、急いで準備しました」

―昇格した日に一軍デビューとなりました。初打席は代打での登場でした。

「打席に入る前から送りバントと言われていたので、とりあえず決めなきゃいけないと思って打席に入りました。バッターボックスに入るまでは緊張していたんですけど、バッターボックスに立って、相手ピッチャーを見た途端に意外と緊張が解けました」

―当時、二軍でリーグトップの7犠打を決めていたことも、打席の中での余裕に繋がったのでしょうか?

「はい。それはあると思います」

―代打できっちり送りバントを決め、4月29日の巨人戦ではスタメンに起用されました。

「スタメンでもそんなに緊張しなかったですね。打席に入ったら野球をするだけですから。特別なことをするわけではないですし、今までやってきたことをやって、それでダメだったらファームへ行って鍛え直せばいいやと思っていました。だから今までやってきたことに自信を持ってプレーしました」

―平常心で臨んだ結果、昨年最多勝のグライシンガーから2安打を放ちました。一軍でやっていく自信になったのではありませんか?

「そうですね。毎回毎回、失投が来るほど甘いものではないと思うんですけど、甘い球が来たら打てるという自信は掴みました」

―二軍でずっと二番を任されてきましたが、二番に座った4月30日の巨人戦ではノーヒットでした。一軍での二番に何か気負いはあったのですか?

「特に意識はしていなかったんですけど、初回に赤松さんがホームランを打った後に、自分はセーフティー(バント)をしようか、何か違うことをしようかといろいろ考えてしまいました。それが反省点です」

―どちらかというと、打席では何も考えずに打席に入るタイプですか?

「何も考えないというよりは、1球目から甘い球を狙って打ちに行こうと意識しています。一軍と二軍との違いは甘い球があまり来ないということだと思います。だから、常に甘い球を狙っています」