B1得点王のニック・メイヨ、日本代表のキャリアも持つ辻直人、京都ハンナリーズの司令塔・寺嶋良、1試合平均15.6得点のビッグマンであるチャールズ・ジャクソン・・・。広島ドラゴンフライズの補強が話題を集めている。
B1西地区最下位からの飛躍を狙うチームは、地方クラブの苦難の歴史をバネにしてきた。そして、覚悟の補強で、2021-22シーズンの台風の目と見られている。このチームの持つポテンシャルと巨大補強の背景を、9月3日発売「朱に交われば、朱くなる」(秀和システム・刊)の著者である坂上俊次氏(中国放送アナウンサー)が全4回にわたって綴っていく。
3回目の今回は、チーム初の地元広島出身選手であり、現在チームのGMを務める岡崎修司氏の言葉をもとに、チーム強化への思考を探っていく。
◆様々な経験を武器にチーム強化に乗り出す
夢のあるチーム編成の立役者である岡崎修司は、異色の経歴を持つGMの存在である。広島ドラゴンフライズでの選手生活は4年間、レギュラーになれないままユニフォームを脱いでいる。
ただ、彼は人とは違ったキャリアを形成する中で、GMとして必要な資質を身につけていた。広島大学薬学部出身、6年制ということもあり、広島ドラゴンフライズ入団当初は、プロバスケットボール選手と大学生の「二足の草鞋」の日々であった。
生まれて間もないチームは、資金面でも苦しかった。
「僕の実力不足なのですが、リーグの遠征に帯同できなかったことがありました。遠征費を抑えるためだったようです。このとき感じたことは、選手として実力をつけなければいけないこと。それと、もし自分が引退後にチームに携わることがあれば、同じ思いをさせたくないということでした」
薬剤師の資格は、岡崎の成長のドライブとなった。2018年に現役引退のタイミングで当時の経営陣からGM就任の打診があったが、岡崎は固辞している。
「まだ自信がありませんでした。選手として十分に活躍できなかったのに、ユニフォームを脱いで即GMとは、さすがに難しいとは思いました」
しかし、生活のこともある。フラットに考えれば、願ってもないポストである。岡崎は薬剤師の仕事を基盤にしながら、チームのアンバサダーに就任した。さらに、MBA(経営学修士)取得を目指し、県立広島大学大学院経営管理研究科に学んだ。そこでビジネス理論はもちろん、スポーツビジネスについても体系的に知識を深めた。
2021年、岡崎はGMに就任すると、ロジカルな思考を武器にスピーディーに仕事に取り掛かった。B1リーグ所属全選手を「定量的」に評価、データを自分なりにまとめ、各選手の力を数値化した。一方で、数値以外の作業は泥臭かった。各チームのGMと積極的に連絡を取り、選手についてのプレー数値には表れない特性を把握しようと努めた。
数値化が武器だった。それでいながら、数字にならない要素も逃さない。スピードと誠意、新人GMは初年度から大きな仕事を成し遂げた。そのバトンは、現場へとしっかり手渡された。
経営陣は3度の交代、ヘッドコーチは延べ7人目、資金面、戦力編成、試合会場の手配・・・さまざまな課題を乗り越えながら
B1昇格を果たした、広島ドラゴンフライズ。カープ、サンフレッチェとプロスポーツチームが根付く地方都市にあって、「第3のプロスポーツを」と奮闘した男たちの約9年間を追った。ミスターバスケットボール佐古賢一は、何故、広島の地でのリスクある挑戦に挑んだのか。なぜ、日本代表キャリアを持つ、竹内公輔や朝山正悟は、この「いばらの道」に闘志を燃やしたのか。地域、財界、選手、フロント、リーグに至るまで。クラブ立ち上げから取材してきた著者が徹底取材した一冊。
坂上俊次 さかうえしゅんじ(中国放送アナウンサー)
1975年12月21日生、兵庫県出身。1999年に中国放送に入社。
主にテレビ・ラジオでカープ戦の実況中継を担当。Bリーグ、ホッケー、駅伝の中継も担当し、Bリーグ中継では、2019年度、JNN・JRNアノンシスト賞ラジオスポーツ中継部門 優秀賞。2020年度は、ホッケー日本リーグ中継で、JNN・JRNアノンシスト賞テレビスポーツ実況部門 最優秀賞に輝く。
著書に『カープ魂33の人生訓』(サンフィールド・2011年)、『優勝請負人 スポーツアナウンサーが伝えたい9つの覚悟』(本分社・2014年)がある。『優勝請負人』では第5回広島本大賞を受賞。その後、『惚れる力 カープ一筋50年 苑田スカウトの仕事術』(サンフィールド)、『優勝請負人2』(本分社)や『育てて勝つはカープの流儀』(カンゼン)を刊行。「広島アスリートマガジン」ではカープを追う連載を続け、220回を超えた。その他、デイリースポーツ広島版、「コーチングクリニック」などに連載を持つ。中国経済産業局の主導する、ちゅうごく5県プロスポーツネットワークでコーディネーターも委嘱されている。