カープの選手に密着し徹底取材をもとにお届けする、J SPORTSと広島アスリートマガジンの新企画『広島東洋カープ選手応援企画』。その記念すべき1人目に選ばせてもらったのはプロ2年目の宇草孔基選手。毎週の取材、毎月1回のロングインタビュー、そして、ファンの方の声も取り入れながら、宇草選手の新たな一面に迫っていきます。

 今回は1回目のロングインタビューを紹介。野球を始めた出来事、野球人生で味わった挫折、プロ野球選手を目指そうと思ったきっかけなどに迫っていきます。

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一軍での活躍に期待がかかる2年目の宇草孔基選手。

◆名門校で経験した大きな挫折

―宇草選手のことをもっとファンの方に知ってもらいたいということで、まずは宇草選手が野球を始めたきっかけを教えてください。

宇草:小さい頃からキャッチボールはやっていたのですが、一番のきっかけは、小学校に入学する前の町内のお祭りです。くじ引きでトスバッティングマシーンのようなものが当たり、子ども心にそれがうれしくて、そのトスバッティングマシーンにハマったのが野球を始めたきっかけです。野球をするかサッカーをするかで迷っていたのですが、お祭りをきっかけに野球の道に進みました。

―ちなみに子ども時代の宇草少年は、どんな少年だったのでしょうか?

宇草:ずっと外で遊んでいましたね。野球以外にサッカーもやっていました。どんな少年だったかは自分ではよく分かりませんが、体を動かすのが好きな子だったと思います。

―野球を始めたての頃、守っていたポジションは?

宇草:サードです。僕がそこをやりたかったからではなく、流れ的にそうなったという感じです。

―高校時代はセカンドを守っておられましたが、サードからセカンドへとつながっていくわけですね。

宇草:う〜ん、それはどうでしょう。特にこだわりはありませんでした。小学校・中学校・高校で、投手を含め全てのポジションをやりましたから(笑)。小学生の頃から、僕はいつもやらされる選手でしたね。最終的にセカンドに落ち着いたという感じです。

―カープでは外野手として活躍されています。学生の頃に内野を経験して、外野の守備に活かされていることはありますか?

宇草:内野手の方へのリスペクトが強くなりました。憧れに近い感じです。もちろん外野手も難しいです。ただ、プロ野球選手になって、プロの内野手のレベルの高さを目の当たりにすると、改めて内野を守っている人たちはすごいなと思うようになりました。自分が守っていたからこそ、余計にそう感じます。

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―高校は名門・常総学院高(茨城県)に進学されました。県外の高校を選んだきっかけは?

宇草:中学校の野球部のコーチに常総学院高出身の方がいまして、そのコーチから影響を受けて行きたいと思うようになりました。

―高校3年間での一番思い出を教えてください。

宇草:良い思い出も、苦い思い出も含めてめちゃくちゃあります。ただ一番の思い出は、キャプテンを外されたことですね。その時のことは、今でも鮮明に記憶に残っています。

―それは一番悔しかった思い出としてですか?

宇草:そうですね。外された時もですが、それ以降も毎日悔しくて、精神的にいっぱいいっぱいになっていました。

―キャプテンを外された直後、レギュラーからも外されたと聞きました。

宇草:思い返すのも嫌なほど、どん底の状態でした。悔しいという気持ちを通り越していました。

―その時に手を差し伸べられた方はおられたのでしょうか?

宇草:キャプテンをやっている時に、いろいろ考えてしまって野球に集中できていませんでした。キャプテンを外された次の日に、部長先生に「今まで見えていなかったものが見えてくるから」と言われたのは今でも覚えています。じつは(外された)その日から、バッティング練習さえやらせてもらえなかったんです。そのことが悔しくて悔して仕方なかったのですが、部長先生の言葉が頭にあったからこそ、「外からいろんなものを見てみよう」と思うことができました。その言葉には助けられましたし、いま振り返ると良い経験をさせてもらえたと思っています。

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◆宇草孔基 プロフィール
1997年4月17日生。東京都出身。常総学院高では甲子園に出場し準々決勝に進出。高校時代はU-18代表に選出された経歴を持つ。高校卒業後は法政大学へ進学。4年生の春季にベストナインに輝くと日米大学野球選手権大会にも出場した。2019年ドラフト2位で広島東洋カープに入団。ルーキーイヤーの昨シーズンは、二軍で打率.281、62安打を記録。10月に一軍デビューすると、プロ初安打・初打点を記録し、13試合で11安打を放った。しかし10月の試合で右腓骨(ひこつ)を骨折し離脱。長いリハビリを経て、今年4月に実戦復帰。6月にはプロ初本塁打を放ち、交流戦では5盗塁を記録するなど、一軍で存在感をみせた。現在は一軍再昇格を目指し、二軍で鍛錬を続けている。