運命であり宿命だった監督就任

 ただ、実際には球団から何も言われていない。具体的なことも将来的なことも、話したことはない。そこで僕が手を挙げて「やらせてください」と言うのも何か違う……これに関してはどう向き合っていいかわからない、何とも言えない気持ちだった。

 だからオーナーから電話をいただいたときは、自分がこれまでやってきたことが評価されたのだと思ってうれしかった。「監督をやることになるのだろう」という僕の想像が、独りよがりの考えじゃなかったとわかってホッとした。

 自分がカープの監督をやること。それを“既定路線”と呼ぶとやはり誤解を招きそうだが、おおげさな言葉で言えば、これは自分にとっての“運命”であり“宿命”なのだろう——と、そんなふうに感じていたのだ。

 監督という仕事の重要性や責任の大きさは重々感じていた。それに加えて各チームには特有の決まりごとがあり、カープにはカープのルールがある。FAで選手を獲得したことがないだけに、自前の選手を鍛えて一人前に育て上げるというチーム方針。僕も緒方(孝市)も江藤(智)も金本(知憲)も前田(智徳)も、みんな死にもの狂いの努力をして表舞台に這い上がってきた。それが伝統であり、カープという球団に課せられた使命だった。