開幕からカープの守護神として活躍し、10月18日現在で35セーブをあげている栗林良吏。東京五輪では日本代表のクローザーを任され全5試合に登板。悲願の金メダル獲得に大きく貢献した。

 いまや日本を代表する守護神に成長したドラ1右腕・栗林だが、本格的に投手を始めたのは実は大学入学以降。プロで数々の記録を打ち立てる右腕がどんな物語を紡ぎ、今の場所に立っているのか。名城大、トヨタ自動車、そして広島東洋カープ。そして栗林をよく知るキーマンに取材を重ね、広島の守護神・栗林の真実に迫っていく。

 今回取り上げるのは、侍ジャパンの投手コーチを務めた建山義紀。栗林の能力を見出し、クローザーに抜擢したのが建山義紀だ。抜擢の理由、そして大車輪の活躍の裏に隠されたエピソードを聞いた。
※取材は9月上旬。

東京五輪では初戦から決勝戦まで全5試合全てに登板。2勝3セーブをあげて、悲願の金メダル獲得に大きく貢献した。ノックアウトステージ第1戦のアメリカ戦では無死一、二塁から始まるタイブレークを無失点に抑え、5試合全てで三振を奪うなど、クローザーとして本領を発揮した。

◆栗林に託すと決めたメキシコ戦の無失点

 栗林には早い段階から注目していました。3月上旬に東京五輪に出場する選手の一次ロースター(185人)を提出しないといけないのですが、新人投手の中でも栗林は、プロでもすぐに結果を出すだろうと思いメンバーに入れていました。

 ペナントレース開幕以降、カープでクローザーを任されて、打者の打ち取り方、マウンドでの表情や雰囲気を見ているうちに、五輪の舞台でも力を発揮してくれるのではないかと思ったのが選出理由です。

 もう一つの決め手は彼の持ち球であるフォークです。プロの強打者から三振を奪うシーンを何度も見るうちに、この球は五輪でも十分に通用すると感じました。栗林のフォークは鋭く落ちるだけでなく、打者がバットを振ろうと判断する瞬間までストレートの軌道を描いているので、打者はフォークが来ると分かっていても打てないのだと思います。

 日本代表のクローザーに抜擢した理由は、その三振を奪う力とマウンドでの立居振る舞いです。緊張しているのでしょうが、その緊張が悪い方向に働かず、開き直って投げることで良い方向に働いているように感じ、「最後は栗林でいきましょう」と稲葉篤紀監督に進言しました。

 ただ一つだけ大きな懸念点がありました。栗林の投球フォームは、右足を少し浮かせてからピッチングの始動に入るのですが、審判委員の方から、この投げ方では五輪ではボークを取られる可能性があると言われたのです。ただ、クイックで投げる時はその癖が収まっていました。それで代表に合流してから栗林と話し合い、フォームを今から調整するのは現実的ではないので、ランナー二、三塁や三塁の場面など、クイックの必要がない場面でもクイックで投げることにしてもらいました。終わってみるとボークを取られることはありませんでしたが、状況に柔軟に対応できる器用さも栗林の強みだと思いますね。

 カープでは開幕から連続無失点を続けていましたが、失点をしていないことが不安材料でもありました。なぜかと言うと、失点したあとの登板を見たかったからです。引きずる投手は次の登板も自分の投球ができなかったりするものですが、栗林は次戦でしっかり立て直してきました。

 なので、失点を喫した初戦のドミニカ共和国戦のあとのメキシコ戦も心配することなく送り出しました。メキシコ戦の栗林は、マウンドの雰囲気から違いました。その姿を見て、『あ、栗林はこういうところがすごいんだな』と、そのリバウンドメンタリティに感心したのを覚えています。そういう意味でも、タイブレークを無失点で抑えたアメリカ戦や決勝戦より、メキシコ戦の登板が私の中では一番印象深く残っています。

 栗林には5試合全てで投げてもらいました。開幕からフル回転でしたし、五輪は特別な舞台なので疲れもあったと思います。なので五輪期間中は、カープの西村トレーナーと密に連絡を取りながら体のケアをしてきました。

 また、本人が「疲れはありますが、気持ちが充実しています」と言ってくれていたのも大きかったですね。体が元気でも心が疲弊している投手は起用しづらいものですが、栗林は常に気持ちが乗っていたので起用に迷いはありませんでした。

 栗林は「建山さんが気持ちをリラックスさせてくれた」と言ってくれたようですが、少しでも良い影響を与えていたなら良かったです。コーチというより、選手が思い切ってプレーできるためのスタッフという雰囲気で接していたので、普段の会話から他愛もない話をしていたなという感じです。

 栗林は初招集でしたが、同世代の選手が多かったのと、ベテラン選手も話しやすい雰囲気をつくってくれていたので、練習中にも笑顔が増えるなど、日に日に固さが取れていったように思います。そういう雰囲気で五輪に入っていったのも良い結果につながったのだと思いますね。

 栗林はまだプロ1年目。どんなに良い投手でもつまずく時は必ず来るものです。それは日本代表の一員でもあった2年目の森下暢仁にも言えることです。ただ、短い時間とはいえ、栗林や森下と過ごして感じたのは、野球への前向きな思いと気持ちの強さです。それを内に秘めている選手なので、何かにつまずいたとしても乗り越えると思いますし、その壁をどうクリアしていくのかを楽しみに見守りたいと思います。

 

◆プロフィール
建山義紀(たてやま よしのり)
侍ジャパントップチーム・投手コーチ
1975年12月26日生・大阪府出身。1998年ドラフト2位で日本ハムに入団。2004年に最優秀中継ぎ投手を獲得。2006年、リーグ優勝・日本一に貢献。2010年、FA権を行使しメジャーリーグのテキサスレンジャーズに入団。2014年の現役引退後は野球解説者として活動中。2017年から日本代表の投手コーチを務めてきた。