野球以外はやらせてもらえなかった

 父は自分が野球を満足にできなかったことから、とにかく僕に野球をやれと言ってきた。僕が剣道をやりたいと言うと、「そんな人を叩くものはスポーツじゃない」と叱られた。陸上をやりたいと言うと、「そんなものをやってもお金にならない」と止められた。

 結局、野球以外のスポーツをやろうとしても、なんらかの理由をつけてすべて止められる。そういう状況で育ったから僕は好きも嫌いもなく野球をすることになったが、運良く素質があったのか、やり始めるとどんどん上達していった。

 おもしろいもので、大人になってから父と話すと、父は、「おまえがやりたいと言ったからやらせたんだ」と言う。僕は「いやいや、父に無理やりやらされたんだよ」と思っている。結果的に成功することができたので父には感謝しているが、そのあたりの意識の違い、解釈のズレというのは、なかなか興味深いものがあると僕は思っている。

 僕は父の想いを継ぐように野球に打ち込んだが、父の野球の教え方はスパルタだった。そもそも父は典型的な昭和の親父で、ちゃぶ台はひっくり返すし、容赦なく手は上げるし、何かあるたびに僕を蹴る。それが日常茶飯事という人だった。

 野球に関する最初の記憶は“壁当て100球”という練習だ。小学校1年生のときにやっていたもので、壁にボールを当てて、それをキャッチするという簡単なものだ。それを100球続けてやればいいというだけのことである。

 ただし、一度でもボールを落としたらカウントはゼロに戻る。たとえ99球まで成功していても、1球落としたらゼロからやり直し。それも取りやすいボールを投げるのではなくて、1球1球フットワークを使いながら真剣にやらなければならない。

 サボろうと思っても、父が横でずっと見ているのだ。楽なボールは投げられないし、カウントをごまかすこともできない。それで失敗したら、「はい、最初から」「また最初から」。父は僕を甘やかさなかった。まったく妥協することがなかった。休みの日は朝の9時から夜の7時まで、ずっと付きっきりで僕の壁当てを見守り続けた。