2010年から5年間カープを率い、25年ぶりの優勝への礎を築いた野村謙二郎元監督。この特集では監督を退任した直後に出版された野村氏初の著書『変わるしかなかった』を順次掲載し、その苦闘の日々を改めて振り返る。
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 これから僕の監督時代の話をする前に、まずは僕がいったいどういう人間なのか知っておいてもらった方がいいだろう。今言ったように、僕の指導法や野球に対する考え方は、僕がこれまで受けてきた教育や環境に大きく影響されている。

 僕の生い立ち、性格、家庭環境、学生時代の恩師の言葉……そういうものが積み重なって今の僕ができているのであり、どうして僕がそう考えるのか、僕のバックグラウンドを知ってもらうことで理解はしやすくなると思う。そして、そういう環境で育った人間がどのように変化していったのか見てもらうことが、この本の重要なポイントになると思っている。

 僕は1966年9月19日、大分県佐伯市で生まれた。まず、僕の父がとにかく厳しい人だった。父は満州で暮らしていたが、戦争で父親と死に別れ、母親に連れられて帰国した。その後佐伯市に住むようになり、新しい義父の元で連れ子として育つことになった。父は野球がうまい人だった。野球の腕を認められて大学からも誘われたが、当時家族は肉屋を営んでおり、商売を継ぐために野球を断念しなければいけなかった。

 ただ、高校までは野球をやっていいと言われていたので、父は僕も学んだ佐伯鶴城高に進学。そこで野球に没頭した。ここには不思議な因縁があって、野球部の1学年下には阿南準郎(1956年にカープ入団。1986~1988年はカープの監督を務める)さんがいた。

 また、佐伯鶴城高のライバル校である熊本済々黌高の同級生には古葉竹識(旧名は毅。1958年にカープに入団し、阿南と三遊間でコンビを組む。1975~1985年にカープの監督を務めチームを初のリーグ優勝に導く)さんがいて、よく試合をやっていたという。こんなところから僕とカープの縁は始まっていたのだ。