父が星一徹で僕が飛雄馬

 そんな厳しい練習だったから、100球達成できたときは号泣して、父と抱き合って喜んだ。それができたことで自分に自信がついたし、何よりも達成感があった。余談だが、その後テレビアニメで『巨人の星』を観たとき、僕は本気で「これはウチの家族を題材にしてるんじゃないか?」と思った。父が星一徹で僕が飛雄馬。冗談みたいに思われるかもしれないが、我が家はあの物語そのままの雰囲気だったのだ。

 僕は父と同じ佐伯鶴城高に進み、そして駒澤大に進学した。駒澤大の太田誠監督は僕の恩師と呼べる存在だが、大学に入学するとき、父は太田監督に宛てて手紙を書いている。その内容は「今日から謙二郎は私の子どもではありません。大学に入学した以上、あなたの子どもですから、死んだら骨だけ返してください。それだけで十分です」と。つまり、極端に言えば親元に帰してもらわなくてもいい、ということで、それくらいの覚悟で僕を鍛えてほしいというメッセージだった。

 太田監督は1年生のときから僕をレギュラーに抜擢してくれたが、それは父からの手紙に感動したからだと後々OBの人に聞かされた。その言葉通り、太田監督には4年間厳しく指導していただいた。

 太田監督にはプロに入って1年目が終了したときに挨拶に行ったのだが、そのときは僕と同期でプロに入った笘篠賢治(中央大からヤクルトに入団)が新人王を獲ったことを引き合いに出され、「おまえなんて大学の恥さらしだ。帰れ!」と門前払いをされてしまった。それくらい厳しい人だった。

●野村謙二郎 のむらけんじろう
1966年9月19日生、大分県出身。88年ドラフト1位でカープに入団。プロ2年目にショートの定位置を奪い盗塁王を獲得。翌91年は初の3割をマークし、2年連続盗塁王に輝くなどリーグ優勝に大きく貢献した。95年には打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。2000安打を達成した05年限りで引退。10年にカープの一軍監督に就任し、積極的に若手を起用13年にはチームを初のクライマックス・シリーズに導いた。14年限りで監督を退任。現在はプロ野球解説者として活躍中。