新型コロナウイルス感染拡大の影響で、カープも先行き不透明な中での練習を余儀なくされている。そんな混沌とする状況下で、選手会長としてチームのまとめ役を託されているのが田中広輔だ。昨季こそ右ヒザの故障もあり自他共に悔しいシーズンを味わったが、リーグ3連覇に貢献するなどプロ入り直後から周囲の期待に違わぬ活躍を見せている。はたして新選手会長はどのような過程を経て、不動のリードオフマンと呼ばれるまでになったのか。背番号63を背負ったルーキーイヤーから、1番ショートに固定された16年までを振り返る。
「レギュラー争いに関しては自分がやるべきことをずっと続けられるか。変に意識して打った、打たない、エラーした、エラーしていないで一喜一憂するんじゃなく、常に1年を通じてコンスタントに結果を出せれば、どこかでチャンスは巡ってくるのかなと思っています。虎視眈々と狙っていきますよ」
社会人ナンバーワン遊撃手の評価を受けドラフト3位指名でカープに入団した田中は、ルーキーイヤーから即戦力として躍動した。オープン戦から一軍に定着すると、3月中旬には規定打席未到達とはいえ打率5割以上をキープ。そのまま開幕一軍入りを果たすとオープン戦期間中に発した上記の言葉通りに、開幕カード3戦目にして早くも『8番・サード』でプロ初のスタメン出場を果たしてみせた。
4月こそ打撃1割台と苦しんだが、5月以降から尻上がりに調子を上げた田中は、夏場から梵英心と入れ替わる形で本職のショートに定着した。110試合に出場しての主な成績は、86安打、9本塁打、10盗塁、打率.292、出塁率.348。1年目から一軍に定着し、即戦力の名に恥じぬ存在感を見せ続けた。
2年目の15年4月1日以降はショートとして完全固定され、シーズン終了までフル出場を果たした。7月には監督推薦選手として初めてオールスターゲームにも出場。レギュラーシーズンで自身初の規定打席に到達するなど、一軍枠での地位を確立させていった。この年は主に1番、6番、7番に座り141試合に出場。「まだまだ危機感を感じている」という言葉とは裏腹に、ショートを勝ち取った4月1日から田中の連続フルイニング出場記録がスタートした。