◆卒業から10年後、初めて広陵へ行って良かったと思えた
高校卒業後、私は大阪の大学へ進学したのですが、もう、野球に関わるつもりは一切無かったですし、広陵の3年間は忘れたいと本気で思っていました。実際、大学在学中は野球部とは無縁でしたし、プロ野球や高校野球を見たいとも思わない生活をしていました。
大学卒業後、そのまま大阪の建設関係に会社へ就職しました。そこで私は、忘れたはずの“広陵野球部に助けられる”ことになりました。
就職した建設会社では営業として勤務し、一軒一軒飛び込みでの訪問営業をしていました。ハードな仕事で、マンション建設の受注を目的とした営業のため、金額も大きくなる事もあり3年間全く契約が取れず、会社からのプレッシャーも強く、精神的にかなり衰弱した状況でした。
そんな時、ある方が田んぼで夏の甲子園をラジオで聞きながら作業をされていたんです。
いつものパターンだと声を掛けても無視されるか追い返されるのですが、ラジオで聞かれてた甲子園をきっかけとして話しかけてみました。
するとその方から、早く帰れのオーラを出しつつも「野球をやってたのか?」と聞かれました。そこで私は「広陵で……ベンチにも入った事はないですけどね」と答えました。すると……「広陵出身!?」とちょっとビックリしたあと、予想外に話を続ける事ができました。
後日、その方が作っていた草野球チームにお誘い頂き、「彼は広島の広陵野球部出身や」と事あるごとにいろんな方を紹介してくれ、皆さんも興味津々で話し掛けてくれました。
そして、その関係者の方の中で、初めての契約を頂くことができました。
この時、私は「広陵野球部の影響力ってスゴイ。野球部に助けてもらった」と強く実感しました。18歳で卒業した時は、思い出したくもないと考えていた広陵野球部の3年間でしたが、卒業をして10年後初めて「広陵に行って本当に良かった」と思えました。
“元広陵野球部”というだけで、私という人間を知らなくても信用してもらえるんです。普通に仕事をしていて信用してもらえるまで、それこそ何年も掛かると思いますが、その一言だけでググっと近づける。感謝ですよね。
◆広陵で学んだことは歳を追うごとに分かるようになる
その出来事があってから、私は記憶に残っていなかった広陵野球部で教わった事を、何とか思い起こしながら仕事をしています。思い起こされるのはほとんど中井先生(哲之・現広陵監督)のお言葉です。
「人として当たり前のことを当たり前にやり続けること」
中井先生は一貫してブレず、シンプルな事を言い続けられているんです。一見簡単なことのように思えますが、それが出来ない人間がものすごく多い。落ちているゴミを拾う、自分から挨拶をする、自分から率先して行動する、困っている人を見たら手助けする。そのような事を自分のモチベーションにかかわらず常に出来るようにするという事です。
エピソードとしてこんな事がありました。広陵野球部での現役時代、寮のトイレの床(個室)に落ちているトイレットペーパーの切端を見た中井先生が、トイレから出てきた私を見つけて、「お前が落としたものじゃなくても気付いてるだろ!なぜ拾わない!」とものすごく怒られました。
トイレの床に誰が落としたか分からないようなものを触りたくもありません。野球の練習中でもそこまで怒られた事はなかったように思います。野球に関係ない事でなぜそこまで怒られるのか? 今思うと、野球以外でご指導頂いたことの方が遥かに多かったです。
怒られた真意も、それが周りに対して人を大事にする気配りだったり、些細なことに気付き自分から行動する癖をつける事だったり、その結果、いろんな変化に敏感になれる人間性が出来る要素が入っていたのだなと思います。
広陵在学中は何を学んだか100%理解することはできません。ですが、社会に出て年齢を追うごとにいろんな経験を積んで分かってくるんです。また、それが全部繋がっている事に気付くんです。
自分が何も考えず生きていたら、助けてもらっている事すら気付けません。それを分かってくるのが30代でしょうね。そして、その教えをどのように活かせば良いか? を分かるのが40歳を超えてからだと思います。
私は50歳を過ぎましたが、これからやっと広陵野球部への感謝を行動で表すことが出来るかなと思っています。
例えば「広陵野球部の教えは、野球以外の人としての方が圧倒的に大きい。たとえ試合に出られなくても得られるものはレギュラーと全く変わらない。広陵野球部を卒業したらOBとして誇りと自覚を持って欲しい。その経験と教えが絶対に将来の自分を助けてくれる」という事を現役及び若い世代に伝えていくのもその一つです。
偉そうな事を言っていますが、現役や若い世代の頑張りで、さらに広陵野球部の名前が取り上げられています。当然それについても現役・若い世代に感謝ですね。