今夏、広島県の高校野球を全力応援するべく立ち上がった「広島県高校野球ガイド」の番外編企画としてお送りする「社会で輝く元広島球児たち」。
本連載は文字通り「社会で活躍する“広島の元高校球児の今”」を追う。高校野球を通じて何を学んだのか? そして、その後何が生かされているのか? 高校野球で学んだことを糧に、現在さまざまなフィールドで輝く社会人にスポットを当てていく。
記念すべき第1回は、甲子園出場は春24回、夏23回を数える広島県高校野球界の名門・広陵高校出身の森重有二さん。高校時代ベンチ入りすることができなかったものの、毎日の厳しい練習を耐え抜いてきた。一度は「野球をやりたくない」という心境にまでなった森重さんは、後に「広陵野球部」に助けられることになる。
現在、建設業を中心に福祉事業も手がける森建開発株式会社(広島市西区)の代表取締役として活躍する森重さんに、広陵野球部時代の思い出、そして高校野球から学んだことを語ってもらった。
◆“明日が来ないで欲しい”と願った広陵野球部の現役時代
広陵野球部時代、私は3年間練習試合すらベンチ入りした事がありません。加えて、肉体的・精神的にもついていくだけで必死。特に1年生時は就寝時“明日が来ないで欲しい”と本気で願っていました。やっと地獄のような一日が終わったのに、また明日地獄が待っていると思うと怖くて(苦笑)。
そのような日々の繰り返しだったので、現役時代の試合は対戦相手すらほぼ覚えてないんです。それほど余裕がなく、自分を守る事で精一杯でした。そんな状況だったので、現役時代は苦しい記憶だけが残り、野球部で教わった本質の部分は全く記憶に残っていませんでした。
野球部引退後、「解放されてホッとした」という気持ちでした。ただ、朝の暗い時間からグラウンド整備をしていて「引退まで何日あるぞ」という話を同級生としている夢を40歳になる位まで見てましたけどね。