お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の本連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していきます。今回は、2007年途中から2008年までカープに在籍。助っ人史に残る肩の強さを誇るアレックス・オチョア選手を取り上げます。

カープに在籍した2007年、2008年ともに打率3割を記録したアレックス・オチョア

◆中日からカープにやってきた強肩強打の助っ人

 カープは優良助っ人外国人を連れてくるのがうまい。これは周知の事実でしょう。

 あまりに優良すぎて、その後他チームへと渡った助っ人は数知れず。カープで助っ人が活躍し、契約終了が近づいてくると「そろそろお迎えがやってくるのだろうな」と心の準備をしていたものです。

 しかしそんな助っ人獲得上手なカープも、国内の他チーム助っ人を獲得したことは何度かあります。元西部バークレオに始まり、現在スカウトをしているシュールストロム・マクレーンもそうですよね。その中でも特にカープファンの記憶に残っているのは、このアレックス・オチョアではないでしょうか。

 オチョアが日本にやってきたのは2003年。オールスター並みの選手をそろえ、めちゃくちゃに強い中日ドラゴンズの一員としてNPB生活がスタートします。

 メジャーでもかなりの成績を残していたオチョア。山田久志監督が「“おっちょこちょい”みたいだから、オチョアではなくアレックスにしよう!」という謎の提案により、アレックスとして登録されました。2004年にはサイクル安打も放ち、日米でサイクルを達成した唯一の打者となります。

 その後も中心選手として結果を出しますが、2006年にはドラゴンズを自由契約となってしまうオチョア(アレックス)。しかし!2007年シーズン途中にカープがオチョア(アレックス)と契約。しかも中日時代は2億円を超える年棒だったオチョア(もうややこしいのでやめます)をなんと年棒1800万円という、すしざんまいもびっくりの仕入れ値で獲得をするのです。さすがはカープ。

 中日での活躍もあり、そこそこやってくれるだろうというファンの期待に見事に答えてくれたオチョアはその年3割という結果を出します。肩の強さは助っ人史に残るオチョアですから外野の守備も素晴らしいものがありました。

 しかも人としても素晴らしかったと元カープ木村昇吾は以前教えてくれました。(昇吾さんはオチョさんのほうが年上だから敬語を使っていました、というプチ情報まで教えてくれました)

 2年目も3割を超える成績だったオチョさんでしたが年齢などの理由により自由契約となり、惜しに惜しまれつつ帰国するのでした。いまだに「あと1、2年はできたのに!」という気がしてなりません。

 その後レッドソックスのコーチ補佐をつとめたオチョさん。現在の様子はフェイスブックで確認することができます。

 2019年に結婚され今は小さなお子様が二人いるオチョさん。愛娘を見つめるその表情は、カープでチームメイトに慕われていたあの優しい笑顔のままでした。

 Facebookの操作が拙い部分もあり、自分の顔の同じ写真を5枚連続であげていたりとなかなか愉快なオチョFacebook。もしお子様が大きくなって野球をされたとしても、オチョさんが現役時代やっていた「手袋に唾をつけてグリップをこねる」仕草だけは真似しないことを願うばかりです。

 

ザ・ギース 尾関高文(おぜきたかふみ)
広島県東広島市西条町出身のお笑い芸人、熱狂的なカープファン。好きな歴代カープ選手はロビンソン・チェコ投手。 2012年に出演したアメトーーク「広島カープ芸人」で、「カープ OB の北別府さんはブログのコメントに全て返信する」と語り、北別府氏のブログを炎上させた経験を持つ。

[尾関高文公式Twitter]@geeseojeck