歴代2位のJ1通算161得点、Jリーグ最多となる通算220得点など、FWとして数々の金字塔を打ち立て、2020年に現役引退した佐藤寿人氏。2005年にサンフレッチェ広島に移籍し、3度のJ1リーグ優勝に大きく貢献した。生粋のストライカーの広島での12年間を佐藤寿人氏の言葉で振り返っていく。

クラブ創設20年の節目となった2012年。11月24日のセレッソ大阪戦に勝利し、悲願の初優勝が決まった。エース・佐藤寿人はこの試合でもゴールをあげ、チームの勝利を手繰り寄せた。

【第9回】広島の街が“紫”に包まれた夢のような初優勝

8回目から続く)
 開幕から得点を重ね、第5節のガンバ大阪戦でJ1通算100得点を達成することができました。

 ゴールパフォーマンスの『100』の人文字は、試合前に、チバちゃん(千葉和彦)や(森脇)良太、(髙萩)洋次郎たちが、ホワイトボードの相手の布陣図の下に『設計図』を書いていたんです(笑)。

 千葉ちゃん、(石原)直樹の加入もアクセントになりました。そして、忘れてはいけないのは、第17節・磐田戦でのナカジさん(中島浩司)です。千葉ちゃんの加入で控えになっても準備を怠らず、71分に交代出場して76分に先制点を決め、2-0の勝利に貢献。この年は2試合、88分間しか出場していない中での貴重な得点で、僕は優勝につながったビッグプレーだと思っています。

 終盤は仙台との優勝争いで、複雑な心境だったのと同時に、大きな重圧を感じていました。こんな千載一遇のチャンスを逃したらどうしよう、という不安を打ち消すのに必死でした。

 第33節、ホームでのセレッソ大阪戦。僕たちが勝っても、仙台が負けなければ優勝は決まらないので、最終節までもつれるだろうと思っていました。でも…、4-1の勝利で試合が終わりベンチを見たら、誰かが飛び跳ねたんです。ただ、何を信じていいのか分かりません。最終的には、スタジアムDJの声で優勝を確信したと記憶しています。ピッチに突っ伏して泣きました。リーグ優勝できる日が来るなんて、本当に夢のようでした。

 でも、この日に決まると思っていなかったので…テレビ各局の優勝特番では、スーツのベルトをせず、革靴も履いていませんでした(笑)。それでも最高の気分でしたね。

 最高といえば、選手・スタッフ全員で入場したJリーグアウォーズ。MVPや得点王などの個人賞もいただきましたが、あれが一番うれしかったです。それまで優勝クラブの全員が入場する様子を見てきて、みんなで来たいと思っていたので、実現できて感無量でした。

2012年シーズン、佐藤寿人は、22得点をあげて自身初の得点王を獲得。他にもMVP、優勝選手賞、フェアプレー個人賞も獲得し、史上初の4冠に輝いた。

 優勝パレードの光景も忘れられないです。たくさんの方が準備してくれて、広島の街が紫に染まっていました。遠くのビルにいる人でも、みなさんの顔はよく見えるんですよ。僕が手を振ると、誰もが振り返してくれるので、「いま選挙に出たら当選するな」と思ったりもしました(笑)。ついに初タイトルを獲得しましたが、これだけでは終わりませんでした。(続く)

2012年12月16日には広島市中区の平和大通りで優勝パレードが行われ、広島の街が紫に染まった。

●プロフィール
佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。市原(現千葉)ユースから2000年にトップ昇格。C大阪、仙台を経て、2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し、2012年にはMVPと得点王を獲得した。2017年に名古屋に移籍し2019年からは千葉でプレー。2020年限りで現役を引退。通算のJ1得点数は歴代2位を誇る日本を代表するストライカー。引退後は指導者・解説者として活動している。