1993年のFA制度導入以降、主力選手の流出が目立ったカープ。逆に加入という面では、2022年6月に秋山翔吾がカープを選んだことは大きな話題を呼んだ。
これまで流出の印象が強い移籍劇だが、かつては『大物選手』がカープを選び入団に踏み切った例もある。長い歴史の中で、カープに入団した大物たちを振り返っていく。
(『広島アスリートマガジン』2022年7月号掲載記事を再編集)
◆カープの歴史を築いたレジェンドたち
1950年に創設されたカープへの大物第1号といえば、白石勝巳。故郷・広島での球団創設に際し、選手兼助監督として入団した。
白石はプロ野球黎明期から巨人で活躍した遊撃手。『逆シングル』でのキャッチをはじめとする守備に注目が集まるが、実はコンスタントに3割台後半の出塁率を記録していた好打者。
広島では移籍1年目から136試合に出場し、打率.304、20本塁打、58打点、出塁率.396をマーク。見事にスタープレーヤーたる活躍を見せ、自身初のベストナインを獲得した。
松竹と大洋の合併により、1953年に移籍してきた小鶴誠は、1950年に松竹で130試合に出場し、打率.355、51本塁打、161打点をマークした球界屈指の強打者だった。
30歳で移籍してきた小鶴は同年、130試合に出場し、打率.283、14本塁打、74打点をマーク。椎間板ヘルニアの影響で結果的に全盛期とはいえなかったが、流動的だった4番の座を固め、さらに同年は33盗塁。満身創痍でチームに貢献した。
小鶴とともに同じく松竹から移籍してきた金山次郎も広島の伝統を築いた一人。松竹では1950年、1952年に盗塁王を獲得。広島でも移籍初年度に117試合に出場し、58盗塁を決め、3度目の盗塁王を獲得した。

