2022年の幕が上がった。昨年はカープ、サンフレッチェ共に、思うような結果を残せなかったが、若手が台頭するなど、未来への希望を抱かせてくれる戦いを見せてくれた。また、東京五輪が開催されるなど、スポーツがおおいに盛り上がった一年になったと言えるだろう。

 広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。そこで、昨年特に反響の多かった記事を振り返り、2022年のスタートを切る。

 ここでは、時代を彩ったカープ選手の足跡を背番号と共に振り返る。今回は、ロマン溢れるナンバーとも呼ばれる「124」を取り上げる。(2021年2月19日掲載)

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長距離砲として支配下登録の期待がかかる木下元秀。

◆1999年ドラフト1位も背負った“希望”の番号

 背番号の運命は、背負った選手によって変わっていくものなのだろう。特に大きな番号は、急にイメージが変わる場合もある。今回取り上げる『124』もそういう番号だ。

 カープに背番号『124』の選手が誕生したのは、球団創設60周年を間近に控えた2009年。ドミニカ共和国のいわゆるカープアカデミーから来日し、独立リーグでのプレーを経て育成選手契約を結んだディオーニ・ソリアーノが最初だった。

 ただし、支配下選手登録が叶った翌2010年には1つ多い『125』に変わっており、『124』はわずか半年。10月には初勝利を初完封で飾ったものの、2011年限りで日本球界を離れている。

 『124』を引き継いだのは、1999年ドラフト1位で即戦力左腕として入団した河内貴哉だった。入団時に『24』を与えられた河内は、ルーキーイヤーの5月にプロ初勝利(巨人戦)を飾る。2004年にはオールスターゲームに出場し8勝を挙げるなど活躍したが、2008年5月に左肩関節唇及び腱板部の修復手術を受けた。

 その後は肩のリハビリで登板がなく、2009年シーズンをもって戦力外通告を受けたものの、球団は回復を期待して育成選手として再契約。この時に背負った番号が、100を足した『124』であった。

◆育成出身の大盛穂がブレイク

 以後も『124』は育成選手に与えられている。2012年に育成ドラフト1位で入団した辻空は速球派の先発右腕として期待され、2016年に支配下登録を勝ち取った。だが支配下で中﨑翔太から『56』を受け継いだものの、思うような結果を残せず、2018年オフに戦力外となった。

 続いて『124』を背負ったのは、2018年育成ドラフト1位の大盛穂。2019年には二軍でチームトップの出場数を記録し、シーズン後には支配下登録を獲得。背番号は『59』となり、カープの育成出身選手としては中谷翼以来10年ぶりの安打を記録するなど手応えを掴んだ。昨季は一軍で73試合に出場し、スタメン出場も急増。カープの育成選手史上で、もっともブレイクした選手として、さらなる飛躍が期待されている。

 現在『124』をつけているのは、2019年育成ドラフト2位の木下元秀だ。名門・敦賀気比高から入団し、全打席で本塁打を狙う未来の大砲候補。2020年はウエスタン・リーグでチーム2位の本塁打(7本)、打点(26)を記録するなど、虎視眈々と支配下登録を狙っている。

 「大盛(穂)さんの背番号を受け継いでいますし、僕も支配下選手になって124番が出世番号と呼ばれるようになったらうれしいですね。大盛さんはもちろん、藤井(黎來)さんも支配下になって刺激をいただきましたし、頑張れば支配下になれるという気持ちで練習に取り組んでいます」

 木下がこう語るように『124』は、もはや育成の出世番号のイメージが定着しつつある“希望の番号”と言えそうだ。