広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。ここでは、2021編集部セレクションとして、昨年特に反響の多かった記事を振り返る。

 今回は、時代を彩ったカープ選手の足跡を背番号と共に振り返る企画。好投手を象徴する背番号「11」を取り上げる。(2021年3月19日掲載記事を一部編集)

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2009年、マツダスタジアムのこけら落としとなった開幕戦の先発を務めたコルビー・ルイス投手。

◆黒田不在の穴を埋めた最強助っ人

 プロ野球界全体で見ても“好投手”のイメージが強い背番号『11』。他球団では永久欠番となっているところもあるが、カープの歴史を見ても印象に残る投手が多いのは確かだ。

 この番号で初めて10年以上プレーしたのは、1974年から1985年にかけての池谷公二郞だ。ドラフト1位入団で木原義隆から『11』を受け継ぎ、“シーソー投法”と呼ばれた左腕を高く上げる独特の投球フォームで名を馳せた。

 ルーキーイヤーから一軍登板を果たし、翌1975年には18勝でチームの初優勝に貢献。3年目の1976年には20勝で最多勝を獲得、沢村賞も受賞した。一方で1977年には被本塁打48を喫しており、これは日本プロ野球史上最高の数字となっている。

 1989年から2000年まで背負ったのは紀藤真琴だ。1983年にドラフト3位で入団し、1987年に一軍初登板。1989年に『11』を背負うと1994年にはキャリアハイの16勝と勝率.762をマーク。この勝率はセ・リーグ1位でもあった。

 在籍期間は短くても、強い印象を残した投手もいる。背番号『11』の歴代選手たちの中では、“カープ史上最強助っ人”との呼び声も高いコルビー・ルイスが好例だろう。黒田博樹がメジャー移籍した2007年オフに加入し、2008年シーズンは開幕から先発ローテーション入り。チームトップの15勝、リーグ2位の防御率.268を記録したのみならず最多奪三振(183)を獲得、黒田不在の穴を埋めるに十分な活躍を見せた。

 2年目の2009年は助っ人投手として球団史上2人目となる開幕投手を務め、2年連続で最多奪三振(186)のタイトルも獲得。メジャー復帰のため2年のみの在籍だったが、「黒田投手と比べられるのはとても光栄。みなさんに黒田投手と同じくらい、または、それ以上の投球をしていると言っていただけるのであれば、これ以上ない光栄なことだと思います」と話すなど人格的にも優れ、ファンの間では今も記憶に残る存在だ。