お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の本連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していきます。今回は、〝あの〟選手の背番号とファンの期待を背負い、カープで奮闘したスコット・シーボル選手を取り上げます。

期待された成績には届かなかったものの、その人柄を高く評価されたシーボル。引退後はマイナーリーグのコーチを務めている。

◆新井さんの穴を埋めるべく、海を渡ってやってきた助っ人

 カープ史上最も『闇の時代に巻き込まれた助っ人』といえば、スコット・シーボルではないでしょうか。

 今でもシーボルと言う名前を聞くと、自動的にあの大変だった時代を思い出します。

 シーボルが来日したのは2008年。メジャーでは結果を残してはいませんでしたが、マイナーリーグでは前年3割32本の素晴らしい成績。阪神へ移籍した新井貴浩選手の穴を埋めるように、その背番号『25』を受け継いだシーボル。新井さんがカープからいなくなった悲しみを受け止められないファンが、ユニフォームの『ARAI』の文字をマジックで消し、『SEABOL』と書き換えた画像を覚えている方も多いことでしょう。(翌年25番は石井琢朗さんに引き継がれ、さらに琢朗と書き換えられていましたね)

 そんなカープファンの心の穴を、頑張って塞いでくれようと奮闘するシーボル。しかしうまく結果が出ないシーボル。頑張るシーボル。やっぱりそんなに結果が出ないシーボル……そんな負のシーボルサイクルに陥ったシーボルでしたが、忘れられないシーンもあります。

 そう、市民球場の横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)戦で、山北投手から放ったサヨナラ満塁ホームランです。チームメイトも、まだ空席が目立つ球場に足を運んでいたファンも、一体となって喜んだものでした。

 これを機に大爆発と行きたかったところですが、その後は秋口から盛り返すものの2割7分ほどでシーズン終了。しかし要所要所での活躍や人柄も評価され、翌年も契約となります。しかし翌年、カープ史上最高の男前助っ人・フィリップスなどの加入で、出場機会にも恵まれなかったシーボルはその年で自由契約に。アメリカへと帰国するのでした。

 日本で結果は残せなかったシーボルでしたが、帰国後は古巣ニューヨークヤンキースの下部組織プラスキ・ヤンキースで打撃コーチとなります。(2020年にチームは解散)

 その人柄もあり、打撃コーチとしての結果はしっかりと残します。積極的に子供たちの野球チームへ赴き指導することも。その後キャリアを積み重ね、現在はマイアミ・マーリンズ傘下のペンサコーラ・ブルーワフーズで打撃コーチを務めています。(2021年、お尻に大きな蟹がデザインされた特別ユニフォームが史上最悪だと話題になっていました。笑)

 カープの冬の時代を支えてくれたシーボル。そんなシーボルがアメリカで活躍していると言う情報は、我々を幸せにしてくれます。カープの数年前の優勝を、海の向こうでシーボルは喜んでくれていたのでしょうか。

 いつか『新井シーボル琢朗ユニフォーム』を持ってブルーワフーズのシーボルに会いに行きたいものです。

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ザ・ギース 尾関高文(おぜきたかふみ)
広島県東広島市西条町出身のお笑い芸人、熱狂的なカープファン。好きな歴代カープ選手はロビンソン・チェコ投手。 2012年に出演したアメトーーク「広島カープ芸人」で、「カープ OB の北別府さんはブログのコメントに全て返信する」と語り、北別府氏のブログを炎上させた経験を持つ。

[尾関高文公式Twitter]@geeseojeck