ホトトギスのたとえ

 ただし、若者がすべてそうなっているわけでもない。中には僕の選手時代のような気質を感じさせる若者も数多く存在する。僕から見ると、キク(菊池涼介)とか丸(佳浩)はそうだ。それを特に感じるのが、彼らが悔し涙を流しているのを見たときだ。

 試合が終わって選手がベンチを出ていくとき、僕は彼らの表情を観察している。ミスをした試合の後など、彼らは涙こそ流していなくてもウルウルと悔しさがにじみ出ていることがある。それを見て僕は「こういう感受性って大事だな」と強く思う。

 特にキクは悔しいとき表情が変わる。僕は彼に「悔しい気持ちはわかるけど、そういうときは力が入りすぎて三振しているよ。4割くらいの力で軽くバットを振っていればいいんだよ」とアドバイスするが、気持ちが高ぶりやすい彼の癖はなかなか直らない。

 しかしプロの世界で生きていくには、勝気さは間違いなく大事な武器である。あとはその悔しさをどうコントロールするかが重要になってくる。この年の指導法の変化をわかりやすくまとめると、最初は織田信長だけだったのが、豊臣秀吉も徳川家康も全部使い分けるようになった―そんなふうに言えるかもしれない。そう、いわゆるホトトギスのたとえである。

 2010年は「殺してしまえ」の一本槍だったのが、この年以降は「鳴かせてみよう」の日もあったり、「鳴くまで待とう」も混ざるようになった。ここで言う「殺してしまえ」とは、すなわち二軍行きということである。

 つまり監督2年目になって、ようやく僕も選手を状況に応じて起用しながらチームを動かすことができるようになったのである。

●野村謙二郎 のむらけんじろう
1966年9月19日生、大分県出身。88年ドラフト1位でカープに入団。プロ2年目にショートの定位置を奪い盗塁王を獲得。翌91年は初の3割をマークし、2年連続盗塁王に輝くなどリーグ優勝に大きく貢献した。95年には打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。2000安打を達成した05年限りで引退。10年にカープの一軍監督に就任し、積極的に若手を起用13年にはチームを初のクライマックス・シリーズに導いた。14年限りで監督を退任。現在はプロ野球解説者として活躍中。