『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2015年から2020年まで21番を背負った廣永遼太郎

◆『21』をつけプロ10年目に開幕戦スタメンを勝ち取った廣永遼太郎

 サッカーの背番号が、11番まではポジションを示すものであることは過去の連載で触れてきた。1番はGKだが、広島ではもう一つ、歴代のGKがつけてきた番号がある。それが今回紹介する『21』だ。

 ただ、当初は攻撃力が魅力のアタッカーの番号だった。固定背番号制が始まった1997年に初代21番となったのは、MF山根巌。広島県出身で、広島皆実高から1995年にサンフレッチェに加入し、切れ味鋭いドリブルを武器に1997年は20試合に出場、Jリーグ初ゴールを含む3得点を挙げるなど活躍した。ちなみに息子の永遠はサンフレッチェ広島ユースで成長してセレッソ大阪でプロになり、親子2代でJリーガーとなっている。

 翌1998年から2年間は、MF大久保誠が21番をつけた。サンフレッチェを3回のJ1制覇に導いた現日本代表の森保一監督と同じ、長崎日大高(長崎)出身で、福岡大を経て加入したプロ1年目の背番号。首脳陣の期待は大きかったがケガが多く、プロでは3年間のみのプレーに終わっている。

 2000年、サンフレッチェでGKとして初めて背番号21をつけたのは、佐藤浩だ。横浜マリノスとの合併によって1998年限りで消滅した横浜フリューゲルスから、1999年に移籍加入。この年は22番で、名古屋グランパスへの期限付き移籍を経て、復帰した2000年に21番となっている。

 横浜フリューゲルス時代から試合出場の機会が少なく、プロでは多くの時間をバックアップとして過ごした。横浜フリューゲルス、広島、名古屋、横浜F・マリノスで2004年までプレーして現役を引退したが、広島に加入した1999年以降の6年間は、一度も公式戦に出場していない。

 数字だけを見れば不遇と思われるキャリアは、一方でタイトルに恵まれたものでもあった。横浜フリューゲルス時代の1998年度に天皇杯を制し、2001年途中に名古屋から横浜FMに移籍すると、同年のヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)で優勝。横浜FMが2003年にJ1リーグを制しため、佐藤は国内3大タイトルの優勝を味わっている。

 2003年のJ1優勝決定試合の後に「何もしていないけど、3冠を達成しましたよ」と笑っていたが、何もしていないはずはない。正GKなど他のGKと切磋琢磨しながら、常に試合に出場できる準備を整えていたからこそ、多くのクラブで必要とされ、タイトル獲得クラブの一員となったのだ。

 これを機に、サンフレッチェの21番はGKの背番号となる。2001年から2004年までは林卓人、2005年は上野秀章、2006年から2008年は木寺浩一がつけた。1年の空白を経て、2010年に西川周作、2011年から2014年までは原裕太郎が背負っている。

 2015年から2020年までは廣永遼太郎が21番だった。2008年にFC東京でプロになった後、複数のクラブへの期限付き移籍を経て、初めて完全移籍してきたのがサンフレッチェだった。

 プロ入り後7年間の公式戦出場は、いずれも期限付き移籍先のJ2クラブでの16試合のみ。サンフレッチェでも最初の2年間は公式戦出場ゼロだったが、3年目の2017年、ついにチャンスをつかむ。ポジション争いを制してJリーグ開幕戦に先発出場し、プロ10年目にしてJ1初出場を果たしたのだ。

 結果は1-1で引き分け。試合後にはJ1デビューについて「こみ上げるものがある」と心境を語っていたが、現実は残酷だった。次の試合で控えとなった廣永は結局、その後は出場機会がなく、2020年までのサンフレッチェでの6年間全体でも、それが唯一のリーグ戦出場となった。

 廣永がJ1デビューを果たした2017年、サンフレッチェはJ1残留争いを強いられている。初冬に取材して自身のシーズン全般について振り返ってもらうと、現状などについて話し始めたのち、長い沈黙を経て、言葉を絞り出した。

「やっぱり、もう一度リーグ戦で使ってほしかった」

 誰を起用するかは、監督やGKコーチが決めること。もちろん分かってはいるけれど、でもチャンスが欲しかった。長い沈黙と、意を決したように吐き出した言葉に、プロ選手としての葛藤が詰まっていたように思う。

 2021年からヴィッセル神戸でプレーしている廣永は、同年7月に交代出場でJ1では2試合目の出場を果たし、次の試合では先発出場して、プロ14年目にしてJ1初勝利をつかんだ。試合終了のホイッスルと同時に感極まって涙を流す姿に思わず、もらい泣きしてしまった感動のシーンだった。

 2021年の開幕当初は空き番号だった21番は、同年途中から久しぶりにGKではなく、DF住吉ジェラニレショーンがつけている。シーズン途中の完全移籍で、母が神奈川県横浜市で広島のお好み焼き店を営んでおり、広島カープのファンであることも当初から話題となった。

 スピードとフィジカル能力の高さが持ち味で、昨季はリーグ戦出場1試合と適応に時間がかかったが、今季はYBCルヴァンカップのグループステージで加入後初得点を含む2得点を挙げるなど、徐々に力を発揮している。リーグ戦は2試合の出場ながら、ベンチ入りの機会は昨季より増えており、今後のさらなる活躍が期待される。